2017/07/04
手の震えと書痙の体験談 緊張性振戦(震え)や書痙の発動が全く読めない

手が震える心理 脳や潜在意識が緊張性振戦に乗っ取られている
手が震える時、同じ緊張状態でも、意外に大丈夫な時があったり思った以上に震えてしまう時はありませんか?
書痙の時もそうで、いつも文字を書くときや、手術を行う前、どれぐらい震えてしまうのか私は全く見当がつきませんでした。
出たとこ勝負で、震えがマシな時は嬉しかったものです(次は調子の良さを維持しようとして、前回よりも震えるのが常でしたが)。
自分の心ほどどうなるのか読めないものはないと思う。
手が震えてしまうことは変わらないにしても、程度の差があります。
まったく読めません。
今日は以前より落ち着いているし、手の震えもそんなに出ないと思っていても、自分でびっくりするくらい震えてしまう時もあるし、前日震えてギリギリの手術をこなして今日の手術が憂鬱でたまらない時、意外なほど震えが起きにくかったり、わかりません。
克服した今でもわからないままだ。思い起こせば起こすほどわからない。
ただ調子が良かった状態を維持しようとすると、緊張感が高まり震えだす現象はあると思う。
ある意味でヤケになった時、震えにくい自分の精神状態になっていたなという思い出もある。
自棄のやんぱちがいいと思って、その心境で望むと全く震えが収まらなかったり。
わからない! 読めない! コントロールできない!
震えの程度がわからないのは、潜在意識や無意識が私たちの知見の及ぶところではないということなのか。
単純に体調の良し悪しなのか、潜在意識で震えるように命令しているのを、私の顕在意識では測りかねているのか。
意外に駄目な時、意外に大丈夫な時があり、意外に良い状態の時があっても、長続きしないことも皆さん共通していると思います。
しかし、その場に臨んだ時、どう結果が出てしまうのか、未来予測ができないことは困りものだ。
まさに出たとこ勝負であり、運命を震えの女神に握られて生活をせざるを得ない。
人間の潜在意識や無意識や脳内の動きというものは、神の領域なのではないかと思う。
だから、そこにアクセスさせることができる岩波先生は神の領域に足を踏み入れた技術を持っていると思う。
出たとこ勝負になるのは、自分の意志で震えの症状をコントロールできていないということだ。
逆に言えば、緊張性の振戦(震え)によって、自分が支配されているといえる。つまり乗っ取られているのだ。
脳も潜在意識も緊張性振戦の奴隷となってしまっている。
今日震えや書痙がそんなに起きなくても、根本的に治っているわけではない。
明日は悪化しているかもしれない、これを繰り返しながら私は段々と悪化していってしまった。
そこに一喜一憂していたら、いつまでも震えや書痙が治らないまま、時間が過ぎていく。
その間に緊張性振戦によって、脳と潜在意識が侵食されていく。
自分の心が世の中で一番ままならないものですね。
参考となるサイト
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