2013/09/19
プライドの維持ってそれほど重要か? 私の失敗

プライドの高さが私の心を苦しめた最大の元凶だったと思います。
プライドの高さゆえに、自分を追い詰め、解決を困難にし、悩みを悪化させていった。
医師はご多分に漏れず、みなプライドが高い。
中にはプライドをとったら、中身スカスカな人もいます。
これは医師とじっくり接触する機会がある人なら頷かれると思います(笑)
私もそう言われないようにしなければ。
ちなみに変わり者が多いのも医師です。
良くも悪くも変わった人間が多く、中には社会性が全く身についていない人もいます。
それでも腕は超一級品のものをもっていたり、社会性もなければ腕もなくただプライドの塊のどうしようもない医師もいます。
まあ医師も人間なわけで、特に個性豊かな面々が揃っています。
私について言えば、かなりプライドが高い人間でした。
だからこそ、進学校や医学部に行き、国家試験までとる原動力になったと思っていました。
負けず嫌いで、意固地で、変に真面目で、融通が効かないところがありましたが、一時的にはそれらの性格は、いい結果を出すパワーになってくれていました。
しかし、手の震え、書痙に関しては、すべてが裏目になってしまった。
そして、悩んでいた時期、一番悩み解決のために捨てなければいけないと思っていたプライドだけは捨てられなかった。
プライドを捨てたらますます私は私でなくなるという恐怖を持っていました。
手の震えや書痙へのコンプレックスが、もっとプライドを高めて自分を守っていたのです。
私はそういう人間ではない、もっとできる人間だ、たまたまこの悩み(あがり、震え、緊張)があるばっかりに力を発揮できないだけだ、とプライドだけで生きながらえていました。
それがさらに失敗は許されないことにつながり、手が震えたらおしまいだという強迫観念につながっていった。
人からどう思われるのか?
うまく行かなかったら何を言われるかわかったものではない、だからこそプライドを高くして、どうにか切り抜けようと思っていたのです。
しかし、冷静になって考えてみると、私が医師を目指したのは、もっと純粋な気持ちからではなかったか?
自分の腕一本で、人の命を救えるその素晴らしさ、醍醐味から、なりたいと思っていたのではなかったか?
いつのまにかプライドの維持のためだけに、動くようになっていたのでは? と思い始めました。
最初の純粋な子供時代の動機が、成長するに従い自我が目覚めると共に、人からよく映る自分を維持するための目的にいつの間にかすり替わっていたのです。
岩波先生はよく言います。
人生は一回しかないと。
プライドはそもそもいらないし、もし使うならば、命をかけた一回だけに使うと。
プライドの使い方はそれしかない、と。
そうじゃないと、下らない低い次元で、小さなプライドを守るためだけにエネルギーを消耗していって、もっと高い次元での戦いをする前に力尽きてしまう、と。
この言葉に私は衝撃を受けました。
常に私は、プライドを下らない瑣末なことにすら垂れ流していたのです。
プライドは一生に一回しか使わないからこそプライドなんだと気付かされました。
そして手の震えの原因がプライドによるもので、じつは私の守っているものなんて、ちっぽけなものにすぎない。
私には失うものなんてなにもないのではないか!
ただしこれは考えに考えて、そこに行き着いたわけではない。
誘導された深い覚醒トランス状態の時に思い浮かべてその思いに至った。
ふと気づいたわけです。
私はハッとしました
アッと思わず声に出そうになりました。
気づこうと思って気づけたわけではありません。
ふと悟ったのです。
悟りってこんなものなんだなと感動したと同時に、胸のつかえがとれました。
私のそれまでの人生でずっと守ってきて、しかもそれで苦労し続けてきた心が、一気にほぐれました。
あれだけ私は考えに考え、書物を読みまくり、瞑想もし、たくさんの心理療法に行ってきましたが、たった一瞬の出来事でそれらの努力を超えてしまったのです。
人間の脳ってすごいなと心底思えました。
岩波先生の技術も半端ないと思いました。
感動でした。
感動にずっと打ち震えていました。
これに似た感覚に陥った人は、岩波先生のところで効果が出た人には多いと思いますが、この気づきや小さな悟りが、どれだけ私のこんがらがってしまった心を一瞬のうちにほぐしてくれたか、似た体験をした人ならわかってくれると思います。
私の手の震え・書痙克服の過程には色々なきっかけがありましたが、その気づき以来、私は急激に気持ちが楽になりました。
脳のかなり深いところでの理解ができた証拠でしょう。
普段私達が抱えているプライドは、実はプライドでも何でもなく、ゴミクズにしか過ぎない。
自分を維持するためのプライドはプライドじゃない。
プライドの奴隷です、それでは。
プライドがない人のほうがのびのび生きているのは事実です。
なくたって生きていける。
それも悩まずに。
プライドは身を滅ぼします。
しかし、それがわかっている人は多くても、実際にプライドを捨てられる人は少ない。
悩みが解決できない代償として、私たちは低い次元のプライドを強くして、生きづらさを増してしまう。
神経症の解決を一番させなくしているのは、ほかならぬそんなプライドを持った自分なのだ。
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