2011/07/25
対人スキルについて 職場の人間関係、人の眼、世間体・・・・コミュニケーションスキル向上方法

だが、手が震える、足ががくがくする、頭が真っ白になる、人と話す時過度に緊張するなど、その人の生活の質までも破壊してしまう。
私もその一人でしたが、思えば「手の震え・書痙」で一番苦しんできたものの、もともとは緊張を生じやすい(それも必要以上に)人間だった。
手の震えや書痙で苦しむ人は、対人的にも緊張を感じやすい人がほとんどでしょう。
初対面の人とどう接していいかわからない
フランクになかなか話せない
地を出すことがはばかられる
会話が続かず沈黙が怖かったりする
人の中にいるとどっと疲れてしまう
知り合いになると逆に居心地が悪くなる
人によく思われたい気持ちが強く評価を気にしすぎる
自分を良く見せるために演技をする・・・・
そういう緊張を持った人間は、同時に人の眼、世間体も過度に気にしてしまいます。
通常、一人でいる時、手の震えも書痙も発生しません(意識すれば震えてしまいましたが)。
そうです、必ず人の眼が絡んできていたわけで、それも失敗してはまずい状況では、もうコントロール不能になりました。
手の震えを克服するには、対人的なスキルを身につけていく必要もあったし、私自身長年獲得を望んでいたものでもありました。
人の眼、世間体を気にしてしまうのも、私自身、そういう親に育てられ、影響を受けてきたからです。
医師になることは私の夢でもあったと同時に、親も強く願っていたことです。
無理矢理医師にさせられたわけではないとはいえ、子供の頃から、親の期待がかなりのプレッシャーになっていました。
細かく書けばきりがないですが、親の目、人の眼、世間の目が私の手の震えを悲惨なものにしていたことだけははっきりしています。
手が震える、足が震える、書痙になる、だからそれを消したい、という「狭い戦い」だけでは、症状の克服はかないませんでした。
いつの間にかそういう狭い見返りのない戦いに没頭してしまうのも、神経症の罠と言える。
岩波先生からはもっと大局的に広く物事を見ることの必要性を教わりました。
脳の柔軟性です。
岩波さんはとてもコミュニケーション能力に長けていて、対人スキルも唖然とするぐらい高い人ですが、そのスキルを学ぶと同時に、緊張する私自身の人生の歴史を広く客観的に見るように薦められました。
私がなぜ異常に手が震えるのか? なぜ他の医師は重要な手術でも手を震えないで、見事なメス裁きができるのか?
それは、私と彼の半生の違いから来ているとわかった。
そして私に足りなかったものもわかってきた。
それが、対人スキルの獲得や、親の目と世間体からの脱出の必要性につながったのです。
そもそも過度の緊張が起きて、勝手に私やあなたの手が震えるのはなぜか?
肉体的な病気ではないのなら、何があなたに手の震えや過度の緊張を強いているのだろうか?
そこに世間体や職場の上下関係や失敗の許されないプレッシャー、よく見られたい心理などが絡んでいないだろうか?
無駄なプライドが邪魔をしていないだろうか?
もともと人に対して過度に緊張を発生させやすかったか? またはそうならざるを得ないぐらい親の影響を受けてしまったのかどうか?
手の震えを克服することだけを考えず、もっと広く根本的に捉えていけば、解決のヒントが必ず見つかるはずです。
自分自身の人生を見つめなおすことで、手の震えが起こらざるを得なかった流れがきっと見えてくるはず。
私が手の震えや緊張症を克服できたのは岩波先生のおかげですが、例え先生のようなスゴ腕の人がいたとしても、克服のヒントは自分の半生の中に隠れています。
これは無意識に渦巻く情動と抑圧として隠されています。
そこをしっかりと見つめることができるのは、私たち以外ありえないのです。
私たち自身が、私たちの内面の奥深く、つまり無意識に意識を入りまないといけない、そして様々な発見や気づきを得なければいけない。
人の眼が気になることによる手の震え(それが昂じて反射神経になる)ならば、対人スキルをあげることをおすすめします。
自己肯定感が出てくれば、震える要素はその分少なくなります(その前に自己否定感に至るルーツの流れを解消させないといけないが)
この人の目、視線があって初めて生じる神経症は、人がこの地球上に存在する限り、自動的に治っていることはないと思ってください。
もっと緊張が悪化していくだけです、その人の数だけ悪化要因があるのだから
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