悩まない生き様術とメンタル強化の秘訣/岩波先生の教え - 緊張による手の震えの止め方を授ける知恵袋ブログ【外科医神経症闘症記】岩波英知施術体験談 
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頭が真っ白でパニックに陥りそうな時、深い呼吸法が脳の混乱を止めてくれる

手術時の予期せぬ出血とトランス呼吸法と緊張克服法 
手術は出血との戦いの連続です。

予期せぬ時に出血して、それも大量出血の場合、少なからずテンパってしまいます。

そういう時にさらにパニックを助長させてしまうのは、呼吸量の浅さです。

そして頭に血がめぐらなくなり、さらに頭が真っ白になって、適切な止血対処法ができなくなるわけです。

脳が使い物にならなくなったら、どんなに頭を働かせようと努力しても、すべてが裏目にいってしまいます。

あがり症や書痙や震えの人が、どんな克服法を試してもなかなか自己コントロールできないのは、そういう理由だからです。


これは書痙や緊張児の手の震えで同じことです。

やばい、どうしよう、なんとかせねば!!という気持ちが焦りに繋がり、さらに震えや緊張を悪化させて、理性ではどうしようもなくなるほどテンパってしまいます

頭が真っ白になったら、もうどうしようもない…


手術のときだったら、いかに出血部位を見極め、出血を最小限にしなくてはいけなくてはならない。

しかも迅速に、短期間でやらなければならない。

助手がいるとはいえ、責任者は自分しかいない。

そういうときほど、私は深いトランス呼吸法をやっています。

深く吸い込み、深く体の緩みを味わいながら息を吐きます。

そうすると、数呼吸で脳が正常な機能を再開してくれます。

そして、出血箇所を見極められるようになり、迅速で適切な対処ができるようになります。

今では脳が研ぎ澄まされるぐらいなります。

手術中のいい緊張感が尋常じゃない集中力を生み出してくれるからだと思っています。


トランス呼吸法で得られた武器をこれまでも書いてきましたが、こういうちょっとした数回の呼吸法でも訓練されたら全然違ってきます。

手術じゃなくても、人がテンパってパニックになりそうな場合こそ、落ち着かなくてはいけません。

落ち着きと余裕だけが自分をコントロールさせてくれる。

トランス呼吸法は、岩波先生のプログラムに必要なだけではなく、自分自身の人生にとっても大きなプラスになってくれる。

だから、とことんまでやり続けたほうがいいという理由です。


昔の私は予期せぬ出血に直面したら、あたふたしていましたが、今では冷静に対処できるようになりました。

それが自信と落ち着きをもたらしてくれる

自分で手術の腕が上がったというのも、何か危機的状況に陥っても、己ならばなんとか切り抜けられるという自信と実績を持つことができたからです。


手の震え、過緊張、神経症の悩みが解決した時の自分

神経症の悩みが解決した時の自分はどうなっているのか?

という話をします。

手の震え・書痙・神経症・過緊張が治った時の感覚

人が変わる時、人格までガラッと変わったり、性格が一変することを想像するのかもしれない。

私も震えや書痙で苦しみの真っ只中におり、先の展望が全く見えない頃、治った時の私を想像することがよくあった。

しかし、そもそも震えない状態で、快適に生きていることなど全く想像できなかった。

無理やり想像しても、全く自分ではない人間になっていることしか想像できない。




しかし、神経症を克服してみると、案外私は私のままだったりする。

性格がガラッと変わったわけではない。

つまりは、人がマイナスの状態からプラスに転換する時、あくまで自分のままでいるということ。

これは多くの治った人が言っていることだから、私だけの思い込みではない。




医師の立場から述べると、私の緊張しやすい性格は、マイナスに行けば手の震えで手術がおぼつかなくなる

と同時に、プラスに振り分けられるようになると、非常に繊細さと感覚の鋭さが必要となる手術を大成功に導いてくれる

どちらも紛れもない私だ。

だから生きていて今は楽だし、多くの感動を激務の中でも味わえる。




本当に、そこまで私をしてくれた岩波先生には感謝している。

もし岩波先生に会っていなかったら、自分の毒によって身も心もボロボロになっていただろう。

いまは同じ性格要素がになってくれている。

もし人格と性格が私ではない状態で変わったとしたら、もし震えの悩みがなくなったとしても、私は違和感を感じて生きていたと思う。

それは虚無だ。

岩波先生も、その著作やホームページの言葉集で言っているように、地獄の特訓や洗脳で無理やり人格を壊して、マイナスを消すようなやり方では、必ず限界がくる

あくまで生きているのは自分なのだし、それで生きてきたわけで、これからも私のままで生きていかなければならない。

だからこそ、自分の性格のまま、それをプラス要素で駆使できる人間になること、それが悩みから解放される道だと思う。




どんな要素にも陰と陽がある。

どちらにそのリソースを振り分けるか、いや振り分けられる人間になるかが勝負です。

あなたはあなたのままでいい】という使い古された気休めにもならない言葉も、そういう意味では真実があると思います。

そこに至るには、悟り、気づき的悟りを、本能レベルで直感として得ることしかないと思います。

それ以外の模索は、自分を無くしてしまうか、理性だけでの理解に終わり、一生実感を得られないまま、迷いながら生きていくことになるでしょう。

まあ、私がずっとそうやって生きてきたわけなので、同じ過ちをしないで欲しいと心から思います。

知識で「こう生きたら楽だ」というレベルでは、自分を乗り越えることなんて一生できないでしょう。


プライドの維持ってそれほど重要か? 私の失敗

手の震え克服方法と書痙の治し方 プライドの解消法と岩波英知先生のセラピー体験記 プライド・・・・・・

プライドの高さが私の心を苦しめた最大の元凶だったと思います。

プライドの高さゆえに、自分を追い詰め、解決を困難にし、悩みを悪化させていった。



医師はご多分に漏れず、みなプライドが高い。

中にはプライドをとったら、中身スカスカな人もいます。

これは医師とじっくり接触する機会がある人なら頷かれると思います(笑)

私もそう言われないようにしなければ。




ちなみに変わり者が多いのも医師です。

良くも悪くも変わった人間が多く、中には社会性が全く身についていない人もいます。

それでも腕は超一級品のものをもっていたり、社会性もなければ腕もなくただプライドの塊のどうしようもない医師もいます。

まあ医師も人間なわけで、特に個性豊かな面々が揃っています。




私について言えば、かなりプライドが高い人間でした。

だからこそ、進学校や医学部に行き、国家試験までとる原動力になったと思っていました。

負けず嫌いで、意固地で、変に真面目で、融通が効かないところがありましたが、一時的にはそれらの性格は、いい結果を出すパワーになってくれていました。

しかし、手の震え、書痙に関しては、すべてが裏目になってしまった。

そして、悩んでいた時期、一番悩み解決のために捨てなければいけないと思っていたプライドだけは捨てられなかった

プライドを捨てたらますます私は私でなくなるという恐怖を持っていました。

手の震えや書痙へのコンプレックスが、もっとプライドを高めて自分を守っていたのです。



私はそういう人間ではない、もっとできる人間だ、たまたまこの悩み(あがり、震え、緊張)があるばっかりに力を発揮できないだけだ、とプライドだけで生きながらえていました。

それがさらに失敗は許されないことにつながり、手が震えたらおしまいだという強迫観念につながっていった。



人からどう思われるのか?

うまく行かなかったら何を言われるかわかったものではない、だからこそプライドを高くして、どうにか切り抜けようと思っていたのです。

しかし、冷静になって考えてみると、私が医師を目指したのは、もっと純粋な気持ちからではなかったか?

自分の腕一本で、人の命を救えるその素晴らしさ、醍醐味から、なりたいと思っていたのではなかったか?

いつのまにかプライドの維持のためだけに、動くようになっていたのでは? と思い始めました。

最初の純粋な子供時代の動機が、成長するに従い自我が目覚めると共に、人からよく映る自分を維持するための目的にいつの間にかすり替わっていたのです。



岩波先生はよく言います。

人生は一回しかないと。

プライドはそもそもいらないし、もし使うならば、命をかけた一回だけに使うと。

プライドの使い方はそれしかない、と。

そうじゃないと、下らない低い次元で、小さなプライドを守るためだけにエネルギーを消耗していって、もっと高い次元での戦いをする前に力尽きてしまう、と。

この言葉に私は衝撃を受けました。

常に私は、プライドを下らない瑣末なことにすら垂れ流していたのです。

プライドは一生に一回しか使わないからこそプライドなんだと気付かされました。




そして手の震えの原因がプライドによるもので、じつは私の守っているものなんて、ちっぽけなものにすぎない。

私には失うものなんてなにもないのではないか!



ただしこれは考えに考えて、そこに行き着いたわけではない。

誘導された深い覚醒トランス状態の時に思い浮かべてその思いに至った。

ふと気づいたわけです。

私はハッとしました

アッと思わず声に出そうになりました。

気づこうと思って気づけたわけではありません。

ふと悟ったのです。



悟りってこんなものなんだなと感動したと同時に、胸のつかえがとれました。

私のそれまでの人生でずっと守ってきて、しかもそれで苦労し続けてきた心が、一気にほぐれました。

あれだけ私は考えに考え、書物を読みまくり、瞑想もし、たくさんの心理療法に行ってきましたが、たった一瞬の出来事でそれらの努力を超えてしまったのです。

人間の脳ってすごいなと心底思えました。

岩波先生の技術も半端ないと思いました。

感動でした。

感動にずっと打ち震えていました。



これに似た感覚に陥った人は、岩波先生のところで効果が出た人には多いと思いますが、この気づきや小さな悟りが、どれだけ私のこんがらがってしまった心を一瞬のうちにほぐしてくれたか、似た体験をした人ならわかってくれると思います。

私の手の震え・書痙克服の過程には色々なきっかけがありましたが、その気づき以来、私は急激に気持ちが楽になりました

脳のかなり深いところでの理解ができた証拠でしょう。


普段私達が抱えているプライドは、実はプライドでも何でもなく、ゴミクズにしか過ぎない。

自分を維持するためのプライドはプライドじゃない

プライドの奴隷です、それでは。

プライドがない人のほうがのびのび生きているのは事実です。

なくたって生きていける。

それも悩まずに。



プライドは身を滅ぼします。

しかし、それがわかっている人は多くても、実際にプライドを捨てられる人は少ない。

悩みが解決できない代償として、私たちは低い次元のプライドを強くして、生きづらさを増してしまう。

神経症の解決を一番させなくしているのは、ほかならぬそんなプライドを持った自分なのだ。

泥まみれに生きること キレイに生きすぎてはいないだろうか? だから悩む

悩みや神経症の原因 手の震え克服方法と書痙の治し方 悩みやすい人は、純粋で真っ直ぐで綺麗に生きている人が多い。

もしくはそう生きたい、そう生きるように親から刷り込まれた人が多い。

これは私も同じで、手の震え・書痙・緊張症の真っ只中では、ある意味でキレイにまっすぐ生きようとしていました。



医師になることは、私自身の希望であると同時に親の強い願いでもありました。

こうあらねばならぬ、という純粋な強い思い込みが、私に失敗をひどく恐れさせる心を植えつけたのだ。

この「こうあらねばならぬ」ことから外れた行為・結果は、私にとって許せないもので、同時に親にとってはもっと許せないことだった。

私の完全主義とあまりに純粋にキレイに生きたいという下心が、失敗したらどうしようという恐怖感を肥大増幅させた




緊張することは誰でもあることだろうし、たまに手が震えることもあるだろう。

その中で人々はそれらに執着せず、前を向いて悩みを悩みとせずに生きているのだが、私はそこばかりに執着して、動きを止めてしまった。

そして、常に手の震えのチェック、震えたらどうしようという予期不安、人から立派にちゃんとやっているという評価を非常に気にする悪いサイクルに、心が、無意識が陥ってしまった。

この悪循環をずっと繰り返すことは、さんざんこのブログ体験記で言ってきました。

過去を振り返り、あまりに私はキレイに純粋にまっすぐに間違いがないように生きてきたと痛感する。

なんであれほど融通が効かない生き方をしてしまったのか、苦笑してしまうほどだ。

固定観念の塊の過去の自分を振り返り、あれじゃ悩まないほうがおかしいと思えるし、今では笑えてしまう。



これが神経症解決を困難にしている認知の歪みというものだが、これを心の底から認識しないと、悩みを根本から解決できないと思う。

ただ手の震えをおさえよう、何とかうまく綺麗に切り抜けようとばかりとらわれて、その対策をとってしまうと、悩みの執着がひどくなり、震えがどんどん悪化していくだけになる。

はたしてキレイに生き過ぎていないか、融通の聞かない遊びの少ない状態になっていないか、そこをきちんと認識したほうがいいと思います。

少しぐらい泥水をかぶって生きられる人間になったほうがいいと思います。



キレイに生きようとする人間ほど綺麗に生きられない、みっともない(と自分が思ってしまう)生き方になってしまう
(岩波先生の受け売りです)

しかし比喩的・逆説的だが、泥にまみれて生きたほうが、かならずキレイに自分の思い通りに生きられる

これは私の苦心を経て掴んだ人生の真実です。




けっして悪くなれと言っているのではなく、もっと人間的な生き方があるのではないかということです。

清水のなかでは魚は生きられません

泥やコケや枯れ葉があるからこそ、豊かな生命がある。

人間も同じです。

この考え方は私には昔なかった。

悩みの克服は考え方を変えることから始まるものです。




私がはっきり私の生き方のまずさを気づいたのは、岩波さんの心理・脳内プログラムを受けてからです。

しかし、いくら岩波さんが頭のキレる人間味に富んだ人であっても、岩波さんの含蓄深い言葉だけを聞いても、私は頭ではわかっても、心の底から受け止められたかというと、難しかったでしょう。

話をして理解できて、心の底から自分を変えようと出来る人は、そもそも悩みが弱い人でしょう。

心の底から気づくには、今私たちを取り巻いている自分自身の理性と固定観念を大きく外したところから始まります。

そこでトランス・ルーツ整理と呼ばれる、トランス状態(脳覚醒状態)での気付きや発見をやっていく作業が絶大な効果を発揮しました。

心の底から私の生き方が歪んでいたことが気づけ、新しい真理を発見できたことは、心がすっきりと洗われる経験でした。

あれほどの深い気づきは、後にも先にもありません





その時に私は悟ったことがありました。

今までキレイに生き過ぎていたこと

なぜ私がキレイにまっすぐに生きようとして自滅したのか

なぜ悪いことは何もしていないし、逆に人の命を救うことをしてきたのに、自分だけが罰のような苦しみを受けなければいけないのか

なぜ苦しみを倍加させてしまったのか、もがいてもがいても抜け出せない罠にハマったのか

これからどう生きていくべきか

これらがプログラム中に悟ることができました。





悩みはそれらの気づきから克服が大きく進展します

大きな悩みの氷塊がそれで崩れていくのです。

いくら頭のなかで考えて対策を立ててあがいても、より悩みを執着してしまうのです。

手の震えばっかりに執着し、そのためだけに生きるおぞましい状態になってしまうのです。

生き方や人生の捉え方を、今一度袋小路にハマっている人は、再設定してください。

そうすれば、必ず突破口が見えてきます。



気づき、気づき、気づき、そして大きな悟りとなって、心が解放されます


私はその過程を経て手の震えと書痙と過緊張症を克服できました。

そして、気づかなければ、一生そのまま、何も悪いことをしていないのに、悪いことばかり味わってしまう損な人生になってしまいます。

医師も対人スキルをアップさせよう! 医師も人間力が必要です

手の震えの治し方と書痙克服方法と対人関係を良くする秘訣 過度の緊張による手の震え、声の震え、足の震え、あがり症、人前でのプレゼンで悩む人は、別の面からもそれらを克服できる方法があります。

どうしても私自身、手の震えを抑えよう、書痙を治そうとばかり頭が支配されていました。

目の前の苦しんでいることから脱却しようということは当たり前過ぎる話です。

ただし、ここがメンタルの悩みの一番やっかいなところです。




目先の悩み解決ということだけに執着し、視野が狭くなると、悪化のもととなります。

その狭い世界だけに心が奪われてしまって、本当に克服するために必要な行動も冒険もしなくなってしまうからです。

でも、もう一度言うと、これは同じ悩みに陥った人なら、みんな経験してしまうことです。

だからこそ、何をやってもうまくいかないわけです。




緊張をしやすい人は、やはり対人間でも、悩みのシチュエーション以外で、緊張してしまっていると思います。

私も初対面の人間はとても苦手で、コミュニケーションが円滑にいかなかった(ある程度仲良くなると饒舌になるタイプ)。

人見知りなのが私の性格なんだと断じて、これをどうにかしようなんて思わなかったが、人見知りの度合いも人の何倍も強かったと思う。

人に緊張を感じやすい為、何かあるごとにあがったり、手の震えを感じてしまう自分が出来上がったのも、そういう流れがあったからでした。

そもそも人がいないところでは発症しない悩みなのだから。




つまり、手の震えなどを克服することは、震えを抑える努力をするのではなく、対人スキルがない人なら、そちらを身につける『プラス方向の克服法』も必要だということです。

手の震えを無くすために、抑圧を外したり、頭の中を整理して心に余裕を持たせたり、震えないための暗示を入れたりするのは『マイナス方向の克服法』といえると思う。

それもとても大事で絶対的に必要なことだけど、いつまでも『震える・震えない』『緊張した・しない』をやるよりも、プラスを積み上げていくことは大事だと思いました。




私は医師なので、職場(患者さん、看護師、病院スタッフ、患者さんの家族、その他この職業に関わる人たち、同僚など)でたくさん対人スキルを発揮する場面がありました。

でも、残念ながら、多くの人とは事務的に対応していたと思います。

コミュニケーション能力がないほうでした。

それは私自身人見知りが強いため、事務的に対応するしか体裁を繕えない、という裏返しでもあった。





よくあらゆる科のお医者さんはほとんど事務的な応対しかしない、という感想を聞きます。

医者は偉そうにふんぞり返っていればいいなんて古い考えの医師もいることはいますが、事務的に対応する人の多くは、対人スキルがないから、だと私は密かに思っています。

医は仁術なのが理想だけど、「仁」を発揮できないのは、コミュニケーション能力に劣っているから、したくてもできないのです。

「あの一言で、どれだけ患者さんやその家族の気持が楽になるだろうか」その一言が言えず、私は悶々としていました。

手の震えを治すためにも、対人スキルを身につける練習を発揮してから(岩波先生のアドバイスが大きいです。
こちらにアドバイスの多くが掲載されています)




練習相手は、職場にいくらでもいます。

うまくいかなくても、毎日対人スキルの向上を心がけていました。

人見知りで、初対面が特に苦手だった私でも、次第に楽になっていったり、相手からの反応が良くなっていったりして、嬉しかったものです。

今ではかなり昔の私が想像つかないほど、会話力がついています

こうなると緊張しやすい自分もだんだん無くなっていきました。

こういうプラス方向の経験値の積み重ねも、手の震えや書痙に有効ですので、日々奮闘してみてください。

勇気や度胸が必要になりますが。




最後に、医師もどんどんコミュニケーション能力を上げなくてはいけないと思う。

最後はコミュニケーション能力や対人スキルがある人が、上に行きます。
(みんなと仲良しになれ、という意味ではない)

手術の腕だけあっても、正当に評価されにくい時代です。

世の中をずいずいと渡っていける人間は、例外なく己に武器を持っている人です。

それは自信であったり、こう生きてやるという生き様であったり、覚悟の強さであったり、対人コミュニケーション能力であったりします。

その中で対人スキルは一番身近であり、練習材料も人の数だけあります。




人間の中で私たちは生きなければならないから、人間を得意にならなければ、幸せになりにくい。

人から避けていたら、次第に行き場を失っていくだけでしょう。

それならば、得意にならなければならないし、少なくとも苦手意識を持たないようにならないと、幸福感はつかめないのではないか。

生き様を持つこと。人生は一度きり 手の震え、書痙の克服方法

手の震え克服方法と書痙が治った体験記  私の手の震え・書痙・あがり症克服の方法として、プラス方向へのアプローチとマイナス克服アプローチの双方向でやっていきました。

手の震えやあがり症が出てしまう私の人生のルーツ分析をし、潜在意識から処理していく方法やプラス暗示を脳に徹底的に入れ込むマイナス克服アプローチも効果的でしたが、もっと強力に克服するためには、プラス方向からアプローチをしていった方がいいと思います。

そして悩みや不安、緊張を壊すためには、相当なエネルギーが必要です。

あれだけ莫大な不安や恐怖と執着しすぎている心と脳を克服するのだから、それ以上のパワーとエネルギーを注入しないとダメなことは、誰もが気づいてることだと思います。

だから気合と根性で強行突破しようとして、体だけを硬直化させ、心も余裕をなくさせ、ますます震える構図にはまっていくわけです。

そのエネルギーがあるときはまだいいほうです。

強行突破作戦が無為にして化すと、悲しいことに、悩みでボロボロになってしまい、少しでも楽してエネルギーを使わず治そうとする方法にシフトしていきます。




本を読んで気持ちを落ち着かせようとしても、ただ気休めで終わってしまうにも理由がある。

そこに悩みをうっちゃれるエネルギーがないからに過ぎない。

私もさんざん飽きるぐらいに本を読んできました。

読書が好きだったのもあるが、手の震え克服に何もしていない自分が何よりも嫌だったからです。

しかし、何一つ好転したためしはありません

結局、克服するためのエネルギーはどこにあるかというと、自分自身の中にしか存在し得ないと気づきました。




例えば私が医師になるために勉強してきた莫大なエネルギーがあったわけで、それならば、悩みを克服するために必要なエネルギーも私の中にあると言い聞かせました。

外科医という私の夢であった職業が、手の震えと極度の緊張、あがり症如きですべて灰燼に帰すと思った時の恐怖感は相当なものだった。

だからこそ最後の頼みとして岩波先生の技術にかけたわけですが、まず私には何とかして脱出したい、克服してやるという気持が恐怖の反動から生じていました。

このまま終わりたくない、一生悩みつづけることはもう嫌だ、疲れ続け耐え続ける人生はもう嫌だという不安感や焦りのエネルギーはかなりのものでした。




次に私のエネルギーとなった出来事が、岩波先生のプログラムに参加したことでの感動と希望でした。

この方法ならば、必ず克服できるという希望と、実際に受けた時の感動が、私のモチベーションになりました。

三つ目が、エネルギーを死ぬまで保たせる考え方です。

それは今日のブログのタイトルに書いたような「生き様」でした。

生き様って一言で説明すると「一度きりの人生を俺はこうして生きていくぞ!」という決意と覚悟ととらえてます。

「手の震えがばれたらどうしよう」「緊張していることがわかったらやばい」という病的な考えに頭が支配されていたため、私の生き様なんかどこかに吹っ飛んでいました。




手の震えの悩みに陥るまでは、「私なりにこうやって生きていくぞ」というちょっとした生き様があった。

けれど、悲しいことに人からの評価と視線ばっかり考える人生になっていた。

生きる意味なんか、人の評価のみで支配されていたら、自分自身を無くしてもろくなってしまう

これは私が身に染みて体験したことです。

生き様を無くした人間に強さなんかないし、もろいし、頼りない

そんな人間が手の震えやあがり症を克服できるエネルギーを持てるはずがない

だから一人だけで立ち向かおうとするとボロボロにすり切れた雑巾のようになるだけ。

エネルギーがないと粘りがきかないし、傷つくことをしなくなるし、リスクを取れなくなる。




おかげさまで、私は生き様を取り戻すことができ、さらに今は確立することが出来ました。

もっともっと大きな生き様を持とうと今励んでいます。

この生き様でやってやる、そして目的を必ず実現させてやると思っている人間に、手の震えとか上がったらどうしようなんていう考えは入り込む隙がないです。

いつでも(震えが)やってこい! と心底思えている人間に、震えなんかやってきません

だから、今すごく気持ちが乗っている状態です。

精力的に仕事をこなしているし、手術恐怖症もなりを潜めました。

考え方一つで人間は破滅にも快適にもどちらにも行ってしまうので、とにかく悩みでどこかに消し飛んでいる「自分」という存在を再構築することが大事でした。

悩み克服に取り組むと同時に、自分の確立、生き様を持つこと、リスクを選択する覚悟を持つことが必要でした。

その双方向からいけば、必ず生きる上で障害になっていることも克服できるので、頑張って下さい!

何事も初心に戻るべきです。

根本からやっていくべきです。

BlackJackプロフィール

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Author:blackjack7777
外科医鈴木博が緊張性の手の震え・書痙・自律神経失調症・あがり症・強迫観念と心身症・不安神経症、不眠症に陥ったときの記録と神経症から脱出するためのヒントがのっています。


もともと過緊張から手が震えることから始まり、書痙や自律神経失調症の悪化、さらにストレスがストレスを呼び心身症や不安神経症、不眠症とボロボロになってしまいました。
自力で必死に助かろうともがくほど、人は簡単に際限なく症状が悪化していくものです。


私を救ってくれたかけがえのない先生に最大限感謝の気持ちを捧げます。あなただけでした、私を手の震えや書痙などの神経症から解放してくれたのは。
私自身も頑張れたと思います。頑張れたのはやっぱり先生の力でしたが。



主に私が受けた心理脳内プログラムについて相談がありましたら、こちらにどうぞ。
一刻も早く皆さんがご自分の抱えられている悩みを解決できるように私も頑張りたいと思います。これ以上人生も職も生きがいも失ってはなりません! 
手の震えやあがり症、過緊張と戦う医師の方、看護師の方を始め、皆様に私の体験談を捧げます。緊張による手の震えの止め方を授ける知恵袋としてお使いください


鈴木博。外科医にほんブログ村 病気ブログ 医療・医者へ
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