過緊張による手の震え体験の苦しみと絶望感 - 元「手が震えた」外科医のブログ 岩波英知あがり症克服プログラム体験記
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お茶出しで手が震える。緊張による手の震えを克服したい方へ

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お茶出しでも緊張して手が震えることに悩んでいる方へ


お茶出しで緊張によって手が震えて、お客様をびっくりさせてしまった、笑われてしまった、訝しげに見上げられてしまった…という経験をした人は多いと思います。

手の震えが厄介な点は、対人関係において手渡しをする機会が多いということです。

お茶出し、名刺交換、食事、飲み会など、自分の手の動きを見られる(意識して見るわけではないが)状況があまりに多すぎます。

日常の行為でいちいち震える…逃げ場がない毎日


手が震えることを知られたくないが、しかし、それらは日常の行為や行事だから、なおさら落ち込みます。

逃げたいけれど、避けては通れないというジレンマがあります。

人間の手はなんとまあ繊細に出来すぎているのか!

もっと愚鈍だったら、心理状態が手の震えや書痙につながることはないだろうに。

お茶出しの震えの悩みは多い


さてお茶出しは、職場でお茶出しをしなければならない立場の人が苦手としています。

お茶出しで手が震えてしまう人からのメッセージがよく届きます(女性がほとんどです)。

お茶出しをしなくてはならない職場から転職したい、今度転職する会社がお茶出しをしなければならないかもしれない、そういうことで悩まれている方がとても多い。

私も手が震えてしまう人間だったら、避けたい気持は死ぬほどよくわかります。

手元を見られている…注視されなくても嫌な気分だ


やはりお茶出しをする時に、お茶に目をやられるわけで、そうすると自然と手の震えが視界に入るわけで、どうせ見られていないという自己暗示もアドバイスも無意味です。

まじまじ注視されているわけではないけれど、震えを気づかれることは恐怖です。

もし気づかれたら、隠しておきたいのに「やっぱり悟られてしまった…」と落ち込むだけです。

私も昔何度もそういう経験がありました。

落ち込むし自信をなくすし、人生を呪います。

なぜお茶出しで手が震えるのか、克服方法も


お茶出しで手が震えてしまうのは、腕や肩や背中が完全に硬直化して、震えやすくなっているからです。

克服するには、内部からの緩み、筋肉の緩み(意外に自覚症状がない人が多い、あまりに慢性化しすぎていて)を作らなければなりません。

内部からの緩みはトランス呼吸法で脳から緩みの感覚を味わってください。

筋肉の緩みはストレッチ法、ヨガです。

これを毎日やり続けてください。

早く克服しようと焦ってゆるもうとして、筋肉を固くしてしまう人もいるのでご注意ください。

緩みは結果的に緩むもので、硬い状態の人がゆるもうと頑張ると逆効果です。


なおトランス呼吸法はこちらでどなたかがまとめていますので、参考にどうぞ。

もっと潜在意識の根本からお茶出しの緊張を克服する必要性


お茶出しの手の震えの克服も、書痙の解決も、根本的な緊張が発する潜在意識下の原因を解消することが重要です。

お茶出しの際に、毎回薬を服用し続けることは、あんまりおすすめできるものではないので、根本解決を考えてください。

普通の人は、お茶出しの際にいちいち震えることを不安に思う人はいません。

お茶出しの震え根本克服できれば、昔の何も考えていなかった頃の自分を取り戻せます。

頑張ってください!

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手の震え、書痙、本態性振戦、緊張が起こすこれら諸症状が悪化する原因 改善のヒント

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手の震え、書痙、本態性振戦が緊張によって悪化していく流れ


緊張が引き起こす手の震え、書痙、本態性振戦は、まず震えを止めようという強い意志の力によって、解決しようする。

これは当たり前の震え対策で、ある段階までは力を込めれば震えは止まってくれる(また震えたらどうしようという予期不安までは消してくれないが)。

あるいは震えないように、手や腕を机や物に押し当てることで、震えの反動が増幅しないようにもする(支点を作れない場合は不安に駆られるが)。


ズルズルと悪化していく流れ


時々なぜか調子が良い時もあって、意外に震えない時もある。

それで今度も大丈夫だろうと思ったら、自分の予期以上に震えてギョッとすることもある。

なぜ昨日が大丈夫で、今日はだめなのか。

その法則もつかめないまま、つかめたらいいのにと思いながら、結局震えや書痙に振り回され続ける。

手術で治るのかと思ったり、薬を飲んで抑えられるかもしれない、しかし依存し続けるのも嫌悪感を持つし、普通の生活を何にも考えるありのまま、あるがまま、自然に送りたいと考える。

もうこの時点で、自己の症状のことを常に考えるようになっている。

手が震えることを考えるということは、不安や恐怖や苛立ちを常に考えていることになる。

これらは良くない感情だから、脳内はそれ相応の防衛体制を敷く。

不快な感情の時に出る、ノルアドレナリンが放出され、不安や緊張を和らげてくれるセロトニンの放出が制限されてしまう。

自律神経で言えば、交感神経ばかりがフルに作動してしまう。


緊張と不安の常態化 自分の身を守るはずが苦しめるエネルギーになる


それは緊張の場面に直面しているときだけに起きるのではなく、予期不安の時にも起きる。

予期不安は震えのことを考えている時間がながければ長いほど、その量と時間が増えていくから、いわば癖になってしまう。

まるで予期不安を感じることで、来るべき緊張の場面に備える、いわば自己防衛本能が働いてしまうとも言える。

自分を守る手段だから、不安と緊張があるが、これが行き過ぎると自分の心身を消耗させていってしまう。

心の部分は、ストレス過多でうつ状態になったり、はけ口を見いだせないイライラにつながっていく。

身体の部分では、肩こり、背中や肩甲骨の張り、頭痛、腰痛、首のこりにまで波及していく。

腕だけ力を込めていても、全てはつながっている。

過度な負担はそこだけにとどまらず、色々な体の器官に悪影響を及ぼす。


そもそもの震えや過度の緊張の元凶とは


緊張状態、防衛本能発動状態が常態化していくため、条件反射で緊張が高まり、震えを受け流す筋肉や柔軟な思考も奪われているため、震えばかりが悪化していく。

すべての元凶は結局はメンタル面です。

自分を守ってくれる、適度な力を発揮させてくれる「緊張」が暴走した結果です。

緊張が生まれるのは思考からです。

緊張を自分で掻き立てた過去のルーツです。


徐々に認知の歪みという狂いが生じている


そして、認知の歪みもあります。

認知が歪んでいない人なら、深刻に考えずサラッと受け流せたり、万が一震えたとして翌日にはすっかり忘れている(ほんの初期段階では誰もがそんな状態だったはず)のに、なぜここまで引っ張ってしまい、悪化させてしまったのか、そこに原因があります。

力を入れて震えを止めたり、おまじないをかけたり、自己暗示で切り抜けようとしても、潜在意識や無意識には無力です。

抜本的から、過去にさかのぼって、手の震え、書痙、本態性振戦に立ち向かう必要があります。

それはこれまでの自分を大変革することです。


しかし、これは決して自分の過去を否定することではありません。

逆に受け入れて肯定することです。

つまり過去に対しての解釈やとらわれのエネルギーを沈めて、生産的に使っていくことです。

参考記事




書痙が治る人、手の震えに苦しむ人 書痙や手の震えを解決する方法

書痙が治った外科医の話 手の震え克服方法と書痙の治し方 書痙はとても大変です。 

私も書痙にとても悩まされてきました。 

医師という職業上、人前で字を書く機会が多かったからです。 

書痙とは、人前で字を書こうとすると、極度に緊張が勝手に起こってしまい、腕や肩が固まり、字が書けなくなったり、ひどく下手な字になったり、震えそのものがひどくなったりします。 

生きている限り、そして社会に出ている限り、人前で文字を書く機会は多いので、その日が近づくだけで、ドキドキそわそわ、そればかりに心がとらわれる、という人はとても多いと思います。 

葬式や結婚式、ホテルの宿帳、不動産を買う時の書類記入、あげればきりがない。 

書痙も多くが過緊張による心因性であるため、心の根本からの解決を目指さないといけないと思います。 

そもそも書痙は、人前じゃなくて、一人で文字を書くときには発生しない症状です。 

そして、意志の力ではコントロールできず、スイッチが入ったように、人前で震えてしまうため、理性の解決は不可能だと思っていいと思います。 

書痙が嫌だからといって、ずっと人前で文字を書くことを避けていたら、いざ次書くときはますます萎縮して、書痙は確実に悪化します。 

 ここで日々の訓練が必要になります。 

根本的解決は絶対必要だとして、日々しのがなくてはいけません。 

書痙というコンプレックスがあっても、いや書痙というコンプレックスがあるからこそ、あえて、”人にズケズケと書かせる(代筆させる)”ことをしてみてください。 

これは岩波先生から教わって、なるほどと思って実践を書痙がおさまるまでやっていました。

それを数多くこなしていくと、自分で書くわけではないため、書痙が起きたらどうする? 震えたらヤバイ、という予期不安から自由になった。 

予期不安がなくなっていき、その場でも萎縮しないから、私が「よし自分で書いてみるか」という主体的な気持ちになって、記帳した時、驚くくらいすんなり文字を書くことができた。 

ほんとうに嬉しかった出来事です。 

その日は嬉しすぎて興奮して寝付けないぐらい、自分の人生に希望を感じました。 

予期不安と緊張で逆に不眠症になっていた私にとっては、嬉しい[不眠症]でした。 

ずっと底なし沼でもがき続けていた私が、はじめて書痙を克服していく実感を得たのです。

私の心にパーッと希望の光が差し込むような、あたたかさ明るさを感じました。 

話題を戻すと、書痙になるのははじめから勝負ありです。 

反射神経で自動的に震えるから勝負に負けます。 

火に油を注いだら、炎が大きくなるように反射的になるから、止めようがありません。 

どうしても震えないようにと我々は望んでしまうけれど、自分の文字を書くことをすべて、理由をつけてズケズケと人に書かせるだけで、かなり私は心に余裕ができました。 

その心の余裕は脳の余裕につながります。 

この余裕は非常に大事でした。 

具体的に人にズケズケを書かせるとはなんなのか、結婚式の記帳の時を例に挙げましょう。 

式場に入る時、記帳を求められますが、「いま腱鞘炎だから文字が書けないので、代わりに書いてくれませんか?」とズケズケと言うということです。 

腱鞘炎じゃなくても、突き指をしているとか、なんでも理由はいいと思います。 

書痙というコンプレックスは置いておいて、したたかに嘘をついてください。 

書痙だからそういう対策をとってしまう自分を恥じることはしないでください。 

萎縮して頼むと意味がありません

ますます劣等感を感じるだけ。 

相手も「変だな」と思ってしまいます。 

そうではなく、本当にそう(腱鞘炎など)なのだから書いてほしい、という感じで、ズケズケとものを頼むのです。 

その時に書いて欲しい文章は、免許証の住所でも、メモ書きでも示せばいいでしょう。 

最初は違和感がありますが、それが続くと、頼むことも平気になってきます。 

この図太さがとても大事で、萎縮してしまう自分から脱出するために、必要なことでした。 

8割ぐらい、受付の人が書いてくれたら、最後の二割自分で書くなどしていけば、思う存分書痙克服の練習ができます。 

その時は感謝の気持を明るく言うことです。 

こちらに後ろめたさがある感謝はやめたほうがいいです。 

これがズケズケと人にものを書いてもらう練習です。 

悩みは全てそうですが、考え方がすべてだといっていい。 

考え方の位置をずらせと岩波先生はよく言ってましたが、結婚式の記帳にしても、考え方を変えれば、すべてを好転させることができるのです。 

私が岩波先生の「俺が書痙なら、こうする」という話を聞いて、随分と為になったと同時に、俺もそれをやってやろうと実行を心がけました。 

決して脳の魔術師とか、潜在意識訴求技術だけの天才ではないのです。 

そういう人が考えないことをズバッと指摘してくれる人間力が岩波先生の本当の魅力だと思う。 

うしろめたさや萎縮した気持で、手術でも記帳でも取り組んでも、いくら頑張ったところで余計悪化するだけです。 

これは私を含め、手の震えの罠に陥った者全てに当てはまることでしょう。 

そういうとき発想の転換をすれば、人生は好転していくものだと、私ははっきりそのことで学ぶことができた。 

ぜひ参考にして、皆さん自身の悩みと戦って、打ち勝っていってください。 

日々耐える人生よりも、打ち勝っていくための最大限の努力は必要です。 

書痙は克服できなければ、一生ついてまわる悩みだ

人前で文字を書く行為は、これからも
死ぬまで続いていく。 

いざ大変な覚悟を持って文字を書こうとしても、異常に震えてしまったり、変な字になったり、文字を書くこと自体ができなくなる、そして、その都度、人から同情されたり、変な眼で見られたりする、これがずっと繰り返されていきます。 

屈辱だし、予期不安がひどいし、尊厳を失うことでもあるし、書痙は人生を滅茶苦茶に破壊してしまう。 

何としても、みなさん、克服していきましょう!




呼吸を制すればメンタルを完全にコントロールできる

トランス呼吸法と日常の呼吸と精神状態 
呼吸法はとても重要なものだが、そもそも呼吸自体が重要なものだ。
悩んでいる時、緊張している時は呼吸が乱れている、浅い、止まっているときもある。
恋愛をしている時や感動している時は、それとは真逆に呼吸のリズムをしている。

呼吸は自分の精神状態やストレスの負荷の量に大きく左右されています。
その時の感情の種類や緊張のレベルによって、呼吸のリズムや量が決定づけられ、その呼吸の質によって、さらに悪い感情、良い感情、快適さやどん底の精神状態に分かれていく。

つまり、普段から呼吸が乱れていたり浅い人は、いくら頭で快適に過ごそうとか自信を持って生きようと思っても、生体リズムからして望んでも不可能な状態にしている。
思考をいくら自分で弄っても、自分のメンタルをより良い方向に持っていくことができないのは、私もよく思い知っていますし、皆さんもそうでしょう。
特に緊張状態が高まっている時、自分の呼吸に注目して下さい。
浅かったり、乱れていたり、時には息を吸うことすら忘れていたり、息を吸った状態でさらに息をすおうとして息苦しくなったり、結果的にあがる人がよく言う「頭が真っ白になった」状態になってしまう。

では、なぜトランス呼吸法が大事になるかです。
その時の感情が呼吸の質を決めるのならば、呼吸を変えてやることで感情もコントロールできるということです。
だから、呼吸法はとても大事だ。

まず呼吸法により、呼吸を整えてやることで、精神状態を変えられる
それは自律神経や緊張をコントロールできることに繋がり、人生をも変えられる

健康にもいい。
ゆったりと深い呼吸を普段からできている人は長生きできる。
それはストレスが少ないからそういう呼吸になっているし、体に柔軟性があるからそんな呼吸ができている。
そんな呼吸だから、呼吸が乱れている人が100の不安や緊張を感じることに直面しても、その人は10も感じていない。

トランス呼吸法を私がそれなりに上達してからは(岩波先生の脳への条件付けによって、劇的に呼吸法の質が上がったのもあるが)、普段の呼吸も整っていった。
やはり安心している時は、ゆったりと苦しくない呼吸をしているし、ドキドキする時は息が荒くなっている。
というよりも、まともに酸素が脳にいっていないのではないかと思うほど、思考が停止していった。

思考が停止したらあたふたして息がますます浅くなるし、息が乱れに乱れて、もっと緊張がひどくなる。
体も硬直化して、手が震える、足が震える、声も震える
やることなすことすべてが裏目。
対処法も全く思い浮かばずに、酸素の少ない脳みそで必死に踏ん張って考えるが、脳の活動をまともにできる酸素をとっくに使い果たしているから、パニックが進行する。

どれだけこれを繰り返してきたしまったのだろうか。
本当に呼吸は大事です。

精神状態をより良く変えたければ、無理に頑張ろうとするのではなく、呼吸法で呼吸を整えてから精神状態を変えていったほうが、はるかに効果が早いです。
呼吸は精神と肉体と非常に密接です。
これらをコントロールできる一番手っ取り早い方法こそが、呼吸法です。



対人関係の苦手を克服 手術時の主治医から患者さんへの説明

手術を受ける患者さん(オペ患)には主治医が説明をしなくてはいけません。

手術前の患者さんへの説明とコミュニケーション能力向上

それもどうにも嫌で苦手なものだった。

外科医は腕一本で患者さんの命を救うだけしていればいいわけではなく、その前後がとても重要で、私にとってはすごく負担だった。

が、仕事というものは、やりたいことだけできるわけではなく、やりたくない分野でこそ、仕事への評価が決まってしまうものなのかもしれない。

苦手を苦手のまま、自分を変える努力を怠ると、必ずしっぺ返しが来るのだと思う。



患者さん本人だけならいいにしても、家族が同伴するのが一般的で、その中での説明はやりたくなかったものです。

どんな手術をするのか、万が一どういう危険性があるのか、成功しないケースの可能性提示、そもそも本当に手術に同意するのか、麻酔から目覚めた時の錯乱状態のことまで、説明をしっかりしなくてはいけません。

それをしないと医療訴訟問題の火種となるわけで、避けて通れないだけに嫌々やっていたものだった。





そして患者さんやそのご家族に同意書への署名を書いてもらいます。

私の書痙がひどくなっていた時は、人様のサインを見るのもゾッとして嫌でたまらなかったし、説明から何から、心からやりたくない気持ちでいっぱいだった(当時はいつもこんな感じで悩んでいた)

しかし、文字を書くという行為、軽いものを持つという行為は、絶対に避けて通れない。

そこで書痙や手の震えの悩みを持ってしまうと、逃げ場がないということだから、毎日心が病んでいくのも無理は無い。

ずっと不安に苦しめられることになる。



さて、今は苦手意識はなくなり、逆に患者さんやご家族の不安いっぱいな心を解きほぐしたり、笑顔を引き出すような話し方ができるようになった。

よく成長できたと思う。

あの抜群に明るい自由自在な会話術の持ち主、岩波先生から会話や人間関係構築のエッセンスを教えてもらったり、盗んだものが、どれだけ私の人生を実りあるものにしてくれたかわからない。

昔はつまらない事務的な説明しかできていなかったのだろう。

苦手だと思っていることでも変われるものだ。

苦手を苦手としているだけでは、人生の可動範囲が狭まるだけなので、積極的に主体的に克服できるものからやっていくといいと思います。

できないことができるようになることほど、成長を実感できることはない。




余裕が無い時は、気の利いたことなんて言えないし、うまく話せません。

体が固い時は、精一杯いいことを言おうとしても、脳が思考停止して出てこない。

人間関係もぎこちなくなるし、会話も弾まない。

せいぜい事務的な対応しかできなくなり、人の心はつかめないし、離れていってしまう。




しかし、柔らかくなると、手の震えが出にくくなるのはもちろん、発想も気の利いた言葉もすべてが自然とスーッと出てくる

説明時でも、心配な患者さんや家族が一番投げかけてもらいたい言葉をパッと把握し、一番いい言葉を発することができる。

その一言があるかないかで、医師と患者さんの信頼関係がなくなるか、強固なものになるのか分かれてしまう

ちょっとしたことだけれど、とても大きいと思います。

医師というだけで『先生』と呼ばれプライドを保っているけれど、人間関係を成立させることが下手で、人望がない医師は多いと思う。

人望がないことを感じたくないから、よけいにプライドで身を固めて、孤独になっていく。

昔はそれで医師として成立できていたかもしれないが、もう今はそんな時代じゃない。

コミュニケーションスキルがない者は、どんな職業でも、やっていけないだろうし、生きづらい事この上ないと思う。



しかし、コミュニケーションスキルを身に着けたら、ちょっとした言葉の投げかけだけで、相手はその人の印象をガラッと変えることもわかっていった。

小さなことだけに、その人の本質がわかってしまうというか、人間関係、医師と患者さんの関係は奥が深い。

その機微がわかってきてからは、説明時も診察時もとても楽になりました。

弱点や苦手分野から逃げていたらダメだ。

逃げていたらもっと苦手になる。

生きづらいことこの上なくなった時、変わろうと思っても、脳は固まり、手遅れになってしまう前に、スキルを身につけるべきだと私は思います。

無意識にメスを切り込める岩波流トランス(脳覚醒状態) 心のがん細胞を切り取れる技術

手の震え克服方法と書痙が治った体験記 岩波英知先生の評判 
トランス状態(脳覚醒状態)について今回は書きたい。

トランス状態とはいろいろな定義もあるかと思うが、理性や知恵のさらに奥のもっと深い本能の部分、つまり情動を司る部位が非常に活性化していて、無意識の扉が開く状態と言い換えたい。

その時の体感は数多くの人が体験記で書いているが、訓練・条件付けが進めば進むほど、日常生活では決して味わえない次元の感動の世界に入り、その時の劇的な効果は驚くべきことだ

筆舌に尽くしがたい感激と生命的な喜びと共に、トラウマ消化ができるため、非常に心が洗われるようになる。

私の神経症の各症状の克服も、岩波先生の技術があってはじめてもたらされた。

この時の心の洗われ具合のすっきりさは、体感した人にしかわからないだろう。





人は生きていくと、たくさんの苦労とストレスと抑圧を溜めこんでいくが、そのはけ口を持たない人や、それが下手な性格の人間は、もろに悩みを何倍にもしてかぶってしまう。

そして精神的にも、肉体的にもおかしくなる。

結局、病気の一番の要因は、ストレスや緊張による体の硬直や内臓への負荷だ。

それほどまでに、心の毒は肉体までも蝕んでいく

かつて私は肉体的にも精神的にも緩みを持たぬものは早死しやすいと書いたけれど、ストレスに強い人間にならないと、いくら健康オタクをやっても結局、健康オタクの生活すらストレスを感じてしまう悪循環に入り込んでしまう。

だから、心の浄化が必要だ。





私が岩波先生にお世話になった時、心の浄化でどれだけ日々日常のストレス負荷が軽減したかわからない。

ギリギリだった私の精神的な余裕の無さ(ストレスで覆われていた心)を、トランス状態で高度で別次元のくつろぎを味わうことで、もたせることができた。

だから、トランス状態(脳覚醒状態)で得られた超越的な感覚体験は、日々を生き抜く糧にもなる。



もちろん根本的な無意識の抑圧処理や建設的暗示を入れ込むこともできる。

どちらにしても、トランス状態を深めることが、細かい悩みの対処法よりも一番の早道であった。

人は日常の精神状態では決して変われない

つまり、今の精神状態のままであったら、将来も同じかそれ以下の精神状態にパワー落ちして、もっと悩みが解決しなくなってしまう。

時を経るほど、神経症が治らなくなっていく。

将来悩みが軽くなっていたらいいなと誰しも思ってしまうが、心に決定的影響を与えないかぎり、人は変われない。

ずっと同じ悩みと苦しみのままだ。





だから、何かエポックメイキングな出来事に直面しないと変わりようがない。

劇的なものじゃないと、心も脳も、深いところで作動してくれないからだ。

岩波先生のホームページに、『無意識にメスを入れ込む』という表現があったが、それはまさに適語だと思う。

物理的メスではない、精神的な無意識に直に届かせられるメスだ。

ただしこのメスを自由自在に扱えるのは、日本には一人しかいないと思う。

無意識にメスなんて普通はいれられない。

無意識の扉が開かないと扱えないからだ。





だからこそ、意識の変容したトランス状態がここでも必要になる。

理屈を超えた究極に感覚だけの世界だ

時にはドロドロした抑圧・トラウマ・心の傷が出てくる。

だが、それを取り除いていかないと、つねに顕在意識で悪さをするのだ。

言い知れぬ不安感や倦怠感や絶望感や焦燥感、それらはすべて無意識の抑圧が悪さして起こるものだ。

それを一度顕在化し、引っ張り出して、メスで切れ込み、病巣を取り除く

これにより、私は日々の言い知れぬ不安感や孤独感が薄らいでいって、建設的な思考を取り込める余裕のある脳になることができたと思う。

人間の無意識の深淵をのぞける状態、それがトランス状態(脳覚醒状態)とも言えるだろう。



無意識の深淵の病因をほったらかしにしていると、それが心のがん細胞となって、常に私たちを攻撃し、破滅の縁へと追いやる。

ガンと違って、それで死ぬことはないが、死ぬこと以上の苦しみを与える。

そして、心の部分が決定的にがん細胞と違うところは、手術して取り除けないところにある。

無意識をじわじわと侵食し、治す手段も見いだせないまま、私たちは生き地獄を味合わなければならない。

そして、私の知る限り、無意識のがん細胞を切り取れる腕を持つ唯一の存在が、岩波先生だろう。

先生もそろそろいいお年だから、その奇跡的な技術を駆使してくれる時間はあまり残っていないと思う。

人の手が震える時。そして私の手の震え克服方法

緊張による手の震えの治し方と書痙が治った体験記  なぜ震えたくもない手が震えるのか

肉体的に言えば、あまりの緊張と震えを止めようとする理不尽な力で、異常に腕に力が入っているわけです。

肩から上腕、前腕、手指に至るまで硬直しているから、ちょっとした反動で手の震えが目立つぐらい震えてしまう。

前にもブログで書きましたが、人間は本当の意味での静止状態はありません。

遺体にならない限りです。



手足を動かさないようにしても、心臓は動いています。

もう動かないなんて死ぬ以外ありえないこと。

だから、目に見えない震えはどんな人間だってあります。

テレビでおいしいラーメンを紹介したときに、お箸で麺を持ち上げたりします。

プロの手のモデルでさえも、かすかに震えているのが分かるでしょう。

手の震えに悩んでいない人でもそうなるわけです。

しかし誰も気にしないし、その人も「それぐらい震えるさ」と悩まないわけだ。




だけどかつての私や書痙、手の震えで悩む人は違います。

抑えこもうと力を入れようとすればするほど、どんどん震えてしょうがなくなる。

いろいろな心理状態があるけれど、肉体的に言えば力が入りすぎて、肩(あるいは肩甲骨周りから首周りまで)や上肢が固まりすぎているから、震えが増幅してしまう

一度癖になってしまうと、自分自身の力や思い込みだけでは、反射的に硬直化した上肢を緩めることは難しいです。




私が手の震えを押さえ込めた一つの要因に、体の力が抜けるようになったこと。

それを私の脳の思い込みでコントロールできるようになったことがあります。

それは岩波先生のプログラムで、脳内と無意識にダイレクトに訴えかけることをやり、どうしても硬直化してしまう脳の悪循環を止めることができたからです。

脳は反射回路で「固まる→震える」とインプットされています。

しかし、脳に「ゆるむ」という回路をいれこむことが出来ました

手が震える人や書痙の人、あるいは足までも震える人は、脳が緩む、くつろぐ、リラックスするということをすっかり忘れています

だから、ちょっと刺激を受けただけで、一気に震えが増幅する一方になります。




では、どうやって私は脳に「ゆるむ」をインプットできたのか?

トランス呼吸法で体の緩みを創り上げた上で、岩波先生にトランス状態(脳覚醒状態)に誘導してもらったからです。

その状態の時、私の脳内に、多くの脳内神経伝達物質が駆け巡っています

その状態のすごさは今更言うまでもなく、脳を変えるに足るエネルギーを持っています。

そのまま人間の秘めたエネルギー及び感情的抑圧のすごさを体感するでしょう。

すごさだけでなく、超がつくほどのリラックスするための脳内ホルモンが特に出ます。

エンドルフィンやセロトニンなどです。

リラックスとはゆるみです。

そのリラックス状態が、こちらも通常のリラックスを突き抜けた状態のため、人生で最も緩んだ経験をすることでしょう。

つまり徹底的に緩んだ状態に浸ることができました。




かつて何も悩んだり考えていなかったときの緩みを脳に思い出させ、かつ最上の緩んだ感覚を脳に一生消えないほど焼きつかせてくれました。

トランス状態のインパクトが強く、深ければ深いほど、脳は「ゆるみ」を認識してくれます。

その上、自分でも家での課題をやることで、常に脳が緩むように癖をつけるわけです。




あとはなぜ身体や上肢が硬直化するのか、それにも理由があります。

そこのルーツ整理をもしていき、震える理由を一つ一つ処理して行きました。

そういうことを感じて、思い浮かべるだけでも、気持ちが楽になるという脳の性質があります。

こうすることで「私は震えて当たり前なんだ」と認知することで、私は手の震えを外すことに成功しました。

まだ色々な毎回びっくりするしかないやり方がありましたが、大きな柱としてはこういうところでした。

なので、手の震えを抑えることつは、力が抜けていること、特に人身に指令する脳がゆるみをしっかりを覚えて、それをいつでも引っ張り出せることが重要でした。



手の震えや書痙は、極度のあがり症と同じく、一人だけの力では克服が困難です。

下手をすると悪化させてしまうだけだ。

そんな絶望的状況を乗り越えるには、やることはたくさんあります。

頑張ってください

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職業と手の震え&書痙 天職でも緊張で手が震えたら廃業するしかない

職業と外科医と手の震え克服方法と書痙が治った体験記  精神的に追いつめられるから、手の震えや書痙が抜き差しならぬ大問題となってしまいます。

それが一生の職になる場合、手の震えによってその仕事に大きな支障が出てしまう恐れがあったら、誰だって精神的に追いつめられます。

だから必死で震えないように力を込めたり、念じたりする。

そうでもしなければ、仕事が続けられない、生きがいも失うし、夢も諦めるしかない。





しかし、心の余裕がないわけだから、ますます自律神経(交感神経)が狂ってしまうだけで、それによって悪循環の渦に嵌ってしまうのが、私は何よりもつらかった。

この渦にどれだけの人が溺れ死んでいったことでしょうか。

もし、仕事(手術など)など関係なしに、私生活でのみコップを持つ手が震える等であったなら、私はあそこまで追いつめられなかったと思う。(ただしそれがウェイターという職業となると話は別です)




同じ手の震え・書痙の苦しみの体験をしている人は本当に多いです(ブログをやってから改めて実感)。

手の震えによって仕事に重大な支障をきたしていたり、退職せざるを得なかったり、いつも「ひっかかる」状態で仕事に打ち込めない、心配不安ばっかり感じているという人は、毎日がおつらいことだと思います。

たった一つの弱点で、人生の根幹たる仕事が満足にできない、力を発揮できないなんて、数ある悲劇の中でも上位に来るものだと私自身体験でよくわかります。

しかも、この種類の悩みは、器質的疾患ならば休養と時間が解決してくれることも多いのだが、全然時間が解決してくれないし、休養しても予期不安に苦しめられるし、社会から取り残される焦りも出るし、いつまでたっても治らないところが、ますます悲劇の色を強めてしまう。

器質的疾患は、手術で取り除けるものだが、神経症や精神的疾患は手術が通用しない。

向精神薬も非常に問題が多い。

治りようがないところがあります。



その終わりの見えない苦しみと不毛な戦い陥るストレスで、うつ病になる人も多い。

しかも外見上はなんら人にはわからないわけだから、自分自身の中でどうしても処理してしまおうとする。

人から同情されない、否、それ以前の全く理解不能な孤独な悩みです(同じ体験した人だけが共有できるもの。しかし孤独な者同士の傷の舐め合いも良くない)

誰にも言えない
わかってもらえない
震え、緊張の悩みを告げたとしても低く見られる
心理を見透かされる恐れがある
仕事に支障をきたすかもしれない
夢を諦めざるを得ない不安・・・

こういったことで誰にも相談できないから、どんどん悪い感情を抑圧して、たった一人で解決不能な問題を永遠と悩んで解くようなものし続けます。

交感神経が暴走して、自律神経失調症になるのも無理は無い。

神経伝達物質の分泌も狂って、うつ病にもなる。


いい経験が一切味わえなくなり、ますます不安を感じ(予期不安)、本番で失敗体験をし、ますます自信を無くして、震えてしまう確信だけが強化されてしまう。

ここまで来ると反射神経で、何の下準備もなしに一瞬で震えるモードに入ってしまう

反射神経になると、もうパブロフの犬と同じで、自分への理性的な説得はまったく無駄です。

ここから抜け出すには、私は相当のエネルギーと発想の大転換と自己改革が必要になりました。

普通の克服方法をやり続けていたら、私は今も悩んでいたに違いないし、こうして克服ブログを書いていることはなかったでしょう。




私の経験から、一人で悩んでどうにかして解決しようとしても、個人の力では限界がありました。

まずは自分で悪循環の渦の中に放り込まれないようにすることが大事です。

悪化してからは仕事を辞めざるを得なくなる=生きる意義の喪失につながる。

信頼できる相談相手を見つけられることが、悪循環を止める第一歩になると思います。

自分で震えの不安を解決しようと全気力を振り絞って、私の全知恵を振り絞りましたが、不安は更なる肥大化した不安を自分の中に呼び込むだけでした。

私の一時期最悪な悪循環を繰り返さないように、気をつけて下さい。




最後に私生活でのみ私の手が震えたとしても、やっぱり悩んでいたんだろうなと今思います。

そればかりに執着して、例えば恋人とレストランにいけなくなるなど多くの弊害が出るでしょう。

そして、ますます震えを気にし、震えを止めようとし、どんどん震えが強くなる悪循環にここでもはまっていたことでしょう。

根本から治さないと、一生どんな場面でも悩み続けます

人は環境やシチュエーションで悩むのではなく、悩みの爆弾を抱える人ならば、どこに行っても悩んでしまうのです。

仕事を辞めるだけじゃなく、私生活の危機にも通じ、器質的疾患以上の、命の危機にもさらされるのです(加害者は自分という恐ろしいものです)

手の震えや書痙を医師に相談すると・・過緊張、パーキンソン病、本態性振戦、アルコール中毒・・・

アルコール、本態性振戦 手の震え克服方法と書痙が治った体験記  手の震えや文字を書く時の書痙は、最初肉体的な器質的な病気かと思う人も多いと思う。

腕の異常、脳の異常などを疑ったことは私にもありました。

結局は緊張が強すぎたことによる震えだったわけだが。

一種のあがり症でしょう。




医師に相談したとしても、「病気」ではないため、納得いく答えはもらえないことがほとんどです。

メンタル面まで察知してくれる医師は実はそれほど多くはないです。

同じ悩みの体験をしなければ、どんな優秀な精神科医にもカウンセラーにも、まず理解されないと思っていいでしょう。


余談ですが、名医といわれる医師は、そういうところまで実に優秀です。

「医は仁術」といわれますが、「仁」の意味の中にはメンタル面でのサポートができることも含まれるのでしょうね。

「医は算術」時代の昨今、視野が狭くなってきていると現場にいてもつくづく思う。




もし仮にパーキンソン病の初期症状と誤診されてしまったら、必要もない薬を飲み続けなくてはいけないわけで、それも怖い。

ちなみにパーキンソン病は、動いている時には震えが止まり、何もしていない状態に震えることが特徴。

他の震えを伴う病気もそういうケースが多い。



つまり、交感神経暴走による手の震えのケースは、モノを持った時、何か動作をする時に発症するわけで、全く正反対です。

また高齢者になると発症することが多い「本態性振戦」「老人性振戦」というものもあります。

これも手や頭が震えるものですが、原因はわかっていません。

ストレスが影響しているとのことですが、どんな肉体的な病気もストレスとは無縁ではないのです。

アルコール中毒患者も手が震えます。

中毒になるのも精神的な何かからの逃避でおきるわけで、メンタル面は森羅万象すべてに良くも悪くも影響を与えている。

まあ、過緊張による手の震えを含めて、いかに震える症状が多いかということですね。

震えで苦しんでいる人は、相当数のぼります。






そして言えることは、緊張性の震えは手術をして手の震えが治るものではないということ。

どんな名医でも不可能な領域です。

結局、ストレスや緊張をどう外して生きていくか、それらが生じてしまう原因を破壊していかなければ、ずっと震えで苦しむことになる、そんな恐ろしい症状です。

私は手の震えで苦しんでいた頃に比べて、だいぶその外し方がうまくなってきたと思います。

割り切りと覚悟をベースで持つことが必要でした。

震えたからどうした
震えても歩みを止めない



この考えは克服するために必要な要素となってきます。

本当はこんなことを受け入れたくないのだが、手の震えを克服するってことは、それぐらい大変なものです。



手の震えは、無理やり力で押さえつけても治りません。

震えは、脳と体の緩みがあるからおさまります。

つまり、腕を固くして震えなくすることは、中期的に見たら、もっと震えるようになってしまいます。

緊張で手が震えることや書痙と自律神経(交感神経)の暴走

交感神経と自律神経の暴走と崩壊 手が震えること、書痙を治す方法 パーキンソン病やその他肉体的病気をのぞく手の震えの原因は、結局の所、過緊張による交感神経の暴走に尽きるでしょう。

交感神経とは自律神経であり、副交感神経とセットです。

副交感神経はリラックス時に優位に働き、交感神経は緊張状態で優位になります。

心臓がばくばくして動悸が激しくなるのも、交感神経が活発に働いているわけですが、これが厄介者です。



手の震えというものは、そもそも目に見えないぐらいの振り幅で「誰でも」動いているわけです。

それはプロの「手のモデル」さんでも同じです。

その意味では誰だって手は震えるものだとひとまず安心しましょう。

どんな人でもまったく震えないということは、肉体的にあり得ない。

常に腕でもどこでもかすかに動いている。

なぜならば心臓が動き、そこかしこの脈も打っているのだから。

生きている証です。




とはいえ、普通の手の震えにとらわれずに生きている人と、手の震えにばっかり意識を向けて、更に震えてしまう人との間には、交感神経の働きの圧倒的差異があります。

私のように外科手術など仕事に影響が出てしまった人間もいるわけで、みんなかすかに手が震えていると言われても、それに悩んでいる人にとっては気休めかもしれない。

現実の問題はあまりに過酷で、身も心も摩耗し続けていくのだから。

そこで交感神経の働きをいかに沈めてやるかが問題になってきます。

意識や知識ではコントロール出来ない、この厄介なものの暴走を止めなくてはいけない。



緊張するから、頼んでもいないのに手や足や首が震える。

手の震えを意識して捕らわれるから、一日中そればかり考えて、不安ばっかり感じる人生になり、そのときの手の震えが増幅してしまうと、ますます悪循環に陥る。

同じ悩みの人なら必ず体験しているはず。

これからの人生、手の震えばかりチェックして怯えて生きていくことを考えると、やはり緊張の部分を抑えてやらなくてはいけなくなります。

力で抑えこんでも、震えは根本的に解決できず、震えたくても震えないように、無意識から持っていかなければならない症状です。




しかし、ご存知のように自律神経(交感神経・副交感神経)は、自らの意志ではコントロールできない厄介なものです。

意志の力でどうにかしようとすると、それが過緊張をつくって、さらに交感神経が暴走する羽目になります。

だから、一人ではなかなか解決できないものなんですね。

必死の努力は、状況を悪化させるだけで、努力に見合った成果はあがりません。

私も地獄のような不毛な神経が摩耗するだけの日々を過ごしてきました。




それでも交感神経をコントロールする方法はあります(はっきり申せば自律訓練法は力不足でしょう)。

普通の意識の状態では難しい(必死の努力すら手が届かない)なら、もっと違う精神状態の時になら可能です。

いわゆる変性意識状態、トランス状態と言われるもので、これは意志とか理性の浅いレベルの世界ではありません。

自律神経のコントロールだけではなく、記憶や五感、運動のコントロールもできるすごい状態です。

自律神経は、非常に強く深い変性意識状態になった時にはじめてコントロールできるようになるのです。



人間は己の意識を、無意識に滑りこませることが、ある条件の時できます。

その条件以外の時は、どんなに頑張っても、無駄な労力とエネルギーを費やしても悪化する一方になります。

そのメカニズムの怖さを知ることが、とても大事です。


手の震えと書痙に苦しむ人へ 私の震えとか緊張の克服経験より

手の震え克服方法と書痙が治った体験記 孤独じゃない 手の震えや書痙で苦しむ方へ。

悩んでいるのはあなただけではありません

あなた以外にも、非常にたくさんの人が今も悩み苦しみ、傷ついています。

病気や依存症による手の震えと精神的なもの(過緊張)による手の震えがありますが、ここでは後者の過緊張による手の震えのことを書きます。




私は先に手の震えや書痙を克服した人間として、地獄から生還した者として、是非伝えたいことがあります。

あなたの心がどちらに向いているかまず確認して下さい。

内向き、消極的、逃避、防衛、焦り ←このような心の状態の場合、いつまで経っても手の震えと書痙は克服できません。



手の震える人は、震えを抑えるために人生をかけた必死の抵抗をします。

その努力感は、普通の人には決して出せない努力とエネルギーです。

それでも、心がマイナス方面にあると、すべて徒労に終わってしまいます。

さらにマイナスの感情を掻き立てるだけに終わります。

つまり手の震え克服には、手が震えないようにする努力ではなく、もっと根本のメンタルの部分から変えていかなくてはいけないということです。

メンタルの部分とは、決して名外科医が手術してもメスが届かない分野です。

どんな名薬であってもです。

まして向精神薬は、中長期的な服用だと、その副作用により身も心も蝕んでいくので、いわずもがなでしょう。



そしてメンタルにも表と裏があって、裏(いわゆる無意識)に問題が生じた時、人はどうすることもできません。

結局、逃避や防衛、知恵(本を読んだり考えること)での対策をするしかありません。

それがすべて無駄に終わっていることは、多くの人が感じていることだと思います。

得られたものは焦りと絶望だけでしょう。

私も焦りが焦りを生み、医師の仕事をやめることを本気で考えていました。

外科医の仕事を私がやめるってことは、夢も希望もすべてがなくなることと同じでした。

それまで培ってきたキャリアやエネルギーの投入量から言って、過去全ても否定しなくてはいけない状況です。

もしそこまで追い詰められていたら、社会人的な死だけにとどまらない大打撃になったでしょう。





手術でも表面的対策でも、手が届かない手の震えや書痙というメンタルの問題を、私たちはどうやって解決したらいいでしょうか?

どうにもできないじゃないかとあきらめている人もいるかもしれませんが、それも早計です。

人は考え方や信念一つでメンタルの部分、それも無意識の部分から変えることができます。

これは私が経験していることだから、間違いないことです。

内向き、消極的、逃避、防衛、、執着心、焦り これらは火に油を注ぐだけです。




自分が『主』として生きることこそ必要でした。

俺は俺の生き様でいく、このsubjectiveな考え方を信念として心の奥深くに植えつけることですべてが好転するようになりました。

決して受け身な生き方ではダメでした。

この生き方はすべてのマイナスを吸い寄せました

自分がなくなってしまうからです。

己が主として生きることで、いちいち手の震えがどうか、書痙になったらどうしようという焦りから解放されます。

いきなり100%は無理かもしれません。

でも確実に自分を変えることができます。



何だ、単純じゃないかと思われるかもしれませんが、単純明快なことじゃないと心の奥に響くことはありません。

知恵や考えはすべてを複雑化してしまい、問題解決を余計こじらせてしまいます




手の震えや書痙はとどのつまり、震えたらどうしようという不安と焦りから発生します。

それに打ち勝つために、それ以上の単純で強力なものを心の無意識にぶち込むことです。

私は岩波先生という名心理コンサルタント(脳の魔法使いとも言える)の元で、いかに信念として脳に焼き付かせるか、無意識に入れ込むかを徹底的にやりました。

そして自分の内向きだった考え方を変えました。変わりました。

手の震えを克服して悟ったことは、結局それしかないというのが私の痛感したことです。




もし今でも手の震えや書痙と終わり無き格闘をしている人がいたら、闘い方を間違えています

人生という限られた時間の中で、せっかくの莫大なエネルギーを不毛な戦争に使うよりも、自分を主体として建設的なものに使えば、成功なんて約束されたものです。

手の震えの克服に比べたら、どんな難問でも大したものじゃありません

手の震え、書痙を解決できたら、これから先襲い来る不安なんて、なんの障害にも感じません。

神経症、手の震え、あがり症が良くなるためのヒント 私の経験より

手がどうしても震えてしまう悩みが解決した体験談  神経症が良くなるためのヒント 経験談より

「手が震えたらどうしよう」 は結果的に 「手が震えてしまう」

「手が震えないように努力しよう」 はますます 「手が震えてしまう」

「手よ、震えるな、震えないでくれ!」 は結局 「手が震えてしまう」

「よし、手が震えていないぞ、このままいけ」 はまたまた 「手が震えてしまう」

心の悩みは天の邪鬼すぎる。

思ったこととは逆方向に行ってしまうからだ。
.
「手が震えてもいいじゃないか」 は 「手に震えようがなくなる」のである。

これが「悩みを受け入れる」ということ。




悩みと闘うより、受け入れた方がよっぽど神経症とかあがり症が治る近道だった

「手が震える」ということは、私にとってリスクだ。

リスクをどうしても回避しようと焦って、強く「震えるな! あがるな!」と念じたりする。

そうすると、「手が震えるor震えていない」という闘いに入る。

闘いという生やさしいものじゃない。

手の震え緊張に一方的ななぶり殺しになってしまう。 ジェノサイドだ

その闘いに入っていると言うことは、常に手に意識が向いているのだ。

自分の緊張や焦り、あがりにばかり神経が集中している。




無意識では手に意識が向いていると言うことは、「震えろ」「震えろ」とマイナス暗示が強くかかっているということ、恐ろしいことに!

これでは虐殺に等しい。

だから苦しんでしまう。

いつまでたっても治ることなんかないかもしれない。




それぞれの症状にこれをあてはめてください。

手の震えあがり症書痙に限らず、あらゆる心の症状に当てはまることだと思う。

不眠症もそうだ。

「気になる」ということもそうだ。

これこそが、単純に見えて、矛盾のようで、奥の深い一番の真実なのだ。

神経症の心の働きほど矛盾しているものはない。そして単純なものはない。

でも奥がとても深い。

しかも複雑にこんがらがっているように思えてしまう。

だから難しいものなのだ。

だが、実はこんな単純なものだ。




問題はこれができるか、ということ。

難しいし、甘くない、と言っておきたい。

でも、やれるものだ。

複雑化、難治化させているのは自分の間違った思いこみが大きい

目を覚まさせてくれる人がいないといけない。

私は幸運にもすてきな人と出会えた。

闘わなければならない。


でも、努力の掛け違い、つまり闘う場を間違えると大変なことになる。

観念や知恵の世界でみんな努力してしまう。

その結果、泥沼に入り込んでしまっている。

開き直れるということは、もっと人間の根幹、哲学、ハートの部分から起こらなければならない

そのためには無意識部分からの処理、間違った認識を正す、自分の過去を見つめる、変わってやろうという意志が合わさって、はじめて可能になれた。

どれか一つかけていても悩みって良くなるには大変だと思う。

一人の力だとどうしても袋小路にはまってしまうと思う

結局、やらなければ、やれなければ、ずっと苦しむことになる。

だからやらなければ、何もはじまらない。

決意と覚悟が結局必要になる。

怯え続けていては一生治ることはない

手術恐怖症/手の震え/書痙 克服への体験記4 夜明け前

自律神経失調症、手の震え克服と書痙が治った秘訣 手の震えの本質的病的原因

手術に関する限り、手の震えと集中力散漫が一番の悩み
だった。

手術の腕も落ちに落ち、自分の感覚的なものがすべて手の震えを止めることばかりに割かれ、手術恐怖症になった。

日常生活でも、交感神経と副交感神経の自律神経のバランスが一挙に崩れて自律神経失調症、心身症になり、物理的に胃が悪くなったり、動悸や息切れと言った不安神経症の症状にも襲われるようになった。

所詮、手の震えというのは、私の心のトラブルの一形態に過ぎなかった。

もっと本質的な心の悩みの元が、しっかりと私の潜在意識に根付いてしまっていた。

問題は手の震えではないということだ(しかし外科医という職業柄、一番思い悩まされた)。

手の震えの対策だけをしていたら、問題の本質を見誤ってしまう。

もっとやるべきことは、無意識・潜在意識のレベルでの問題の処理だった。




◆対症療法と根治療法

当時、目の前の震えの症状をいかに抑えるかだけやってしまい、いつまでも治ることはなかった。

その狭い視野が悩みの解決をいかに遅らせてしまったか、改善していく段階で気づき、後悔もした。

その分、時間を無駄にしてしまったのだ。

いつも「手が震えたらどうしよう、手が震えたかな、悟られているかな?」 そればかり考えていた。

そこに費やすエネルギーはとんでもない量だったと思う。




◆すべての治す頑張りが無駄に

努力の掛け違いをすると人間は悲惨だ。

精神科医・精神分析医・心療内科医・心理療法士・カウンセラーすべてに(例外は一人だけ)その「秘密」があるゆえ、心を開くことが出来なかった。

言ったら最後、蔑まれるという恐れが支配していた。

だからいつも心苦しさがあり、何のために通っていたのかわからなくなったから、ころころと病院や心理療法を変えることになった。

お金の問題じゃないから、貯金をどんどん使っていった。

でも、何にも結果が出ることはなかった。

くだらない心理療法や医者にお金をどれだけ浪費しただろう。

医師としてのプライド、人間としての、大の男としてのプライド、どれも私を苦しめた。



世の中には本物は確かにある。

しかし、本物は非常に数少ない。

神経症や心の悩みや無意識に関係することに関して、本物の存在はほとんどいないといっていい。

その存在にいつどこで出会うかだ。

人と人との出会いは貴重だ。



手の震え/書痙/あがり症 克服への体験記3 夜明け前

手術、オペで手が震えてしまう原因 その克服方法 外科医の手の震えの治った話 ◆手の震えの悩みを一人で孤独に抱える

私は手の震えの症状をありのまま、カウンセラーや精神科医にうちあけられない心苦しさがあった。

効果がないこととあいまって、通うこと自体も。

あたりまえのことだ。

すべてを打ち明けて、はじめて治療のスタートラインにたてるのに、秘密をずっと抑圧し続けていたのだ(だからこそ、症状と決別した今、昔の反動でブログに打ち明けているのかもしれない)。


◆暴走する神経、イライラと焦り

心療機関に通っている間、私の神経の集中先が、腕だけでなく頭の内部にもとらわれるようになった(それで腕への神経の集中がなくなれば、どんなによかったか! でも現実はセットだった)

頭のどこかにいつも神経が向いているのだ。

重い、苦しい、つらい。

神経がいかれているんじゃないかと疑った。



外科手術で、これらの症状をはずすことが出来ればという夢物語を願った。

こんなものじゃ、とても集中して手術が出来ない

完全に手術恐怖症になった

イライラと焦りでいっぱいいっぱいになってしまった。

それでも必死で慎重に進めていき、ぎりぎり失敗はなかった。

これに費やしたエネルギーはとんでもない。

普通の人間は、そのエネルギーを幸福や楽しみのために振り分けているんだろう。



◆うつ病の兆候も


いつかやばいことになるかも、なったらおしまいだと不安がいっぱいだった。

汗の量もやばかった。

手術に失敗したら、その時は自殺する時とまで思っていた

うつ病の兆候も出てきたと思う。

イライラし、落ち込みを繰り返し、自律神経失調症の苦しみも続き、感情も死んでいき、憂鬱で暗いことにすべてが支配されていった。

あのまま進んでいたら、完全にうつ病に陥っていただろう。



◆手術の失敗への恐怖と絶望感

仕事を辞めたとしても、私はそれまで医師になること以外考えてこなかった。

今更、他に何が出来るのだろう? 未来に希望がないことは苦しい。

患者の方は、私の心理的内面はわからないし、私たち医師に安心して任せきっている。

特に外科手術は患者はまったくの受け身だ。

よもや失敗など考えていない。

しかも初歩的な簡単なミスなどあり得ない話だろう。

手が震えて失敗したなんて知られたら、私の人格、積み重ねてきたことすべてを否定されるだろう。




◆手の震えの秘密を知られたら最後


そして私の本当はこんな体たらくじゃないはずというプライドも許さなかった。

でも、 私が失敗しかねないのは、普通ならありえない初歩的なミスだった。

それも緊張による手の震えによって引き起こされるであろうミスだった。

同僚にも看護師さんにも患者さんにも秘密を悟られるのが怖かった

もし内面の惨状(手の震え、過緊張症)を悟られたら破滅しかなかった




◆孤独と絶望

恥ずかしいことに手が震える。

誰も手を震えている人なんかいない(と当時一人で思っていた)。

ましてや外科医がそうなるなんてありえない話だ。

外科医にあるまじき悩みの症状を私は持ってしまったのだ。



それを必死で隠していた。

でも、張りつめた緊張感に心がクタクタになってしまった。

発狂してしまうんではないかと言うくらい、心が追いつめられていった。

いつもため息で、心が重く苦しくなっていた




◆向精神薬に頼る、その不安と不満


心療内科で薬を処方してもらい、どうにか抑えることが出来た一方で、だるくなったり、頭がぼやけたりして、手の震えよりも、そちらの方が危ないと悟った。

薬を飲めばすべてが解決するという甘ったれた希望的観測を持っていたため、ショックが強かった。

医師は簡単に薬を出すと言うが、こちらが患者になってみるとそのとおりだった(だから精神科医に対する不満もよくわかる)。

心のふれあいがなかった。

実は私はあまり心の触れ合いをしたくなくて、外科医を選んだこともあった。

腕一本で生きていけるかっこよさもあったが、黙々と手術をすることへの憧れがあった。




◆絶望の淵で悩みに抗う

でも、患者としての私は、心をしっかり強く支えてくれる医師やカウンセラーを求めていた。

だから催眠療法をやったり、森田療法の「あるがまま」の理論にあこがれを持ち実践しようとしたが、心のほつれはそう簡単に繕えるものではなかった。

弱点を知られないように知られないように外面だけあわせて、なんとかしのいでいたが、まったく一時しのぎの対策しかとれていなかった

一時しのぎの代償は、さらなる悪化としわ寄せが来るというが、一時しのぎしかできない状況だった。

私にはそれしかやりようがなく、泥沼にはまるだけだった。

違和感を感じ続けて生きていた。

私には未来への展望なんか思い描けなかったし、暗い暗い現実の中で呆然と立ち尽くすことしかできなかった

いや呆然とではなく。いつも心配と不安と苦しみと悩みと焦りと心の傷のうずきを感じていたのだ。

何もできなかった。

外科医神経症闘症記 緊張性の手の震え克服への体験記2 夜明け前

手の震え克服方法と書痙が治った体験記 強迫観念と震え ◆強迫観念的手が震える苦しみ

「俺ってあがり症だな」そうつくづく感じた。

手術中の私の意識の集中どころは、当然患部ということでなければならない。

手・指先の繊細な感覚は手術する者にとって絶対的だ。

けれど、自分の手と腕ばかりに(病的に)神経が集中した



きつくてたまらなかったし、イライラしたし、気になったら最後、意識をそこからはずすことが出来なかった

腕以外のところに意識を向けようと必死になっていると、怖いことに注意力散漫になり、手術で大きなミスをしてしまうところだった。

無理矢理望むとおりのところに意識が向けることは出来なかった。




◆あるがまま、あるがまま、それができない

「集中しろ、落ち着け」と念じたら、逆に注意力が散漫し、緊張と焦りが高まった。

森田療法で教わった「あるがまま」も出来なかったし、自然体というものがどういうことかさえも思い出せなくなった。

リラックスを心がけても、リラックスや緩みの感覚がわからないのだ。

落ち着いているってどういうことだろう? あるがままって何だ?

あるところに意識を向けるという意識が、意識を向けちゃいけない部分(指先、手、腕)への集中をさらに強化した。



手術の腕は落ちに落ちた。

スピード、手際の良さ、また判断能力が壊滅的だった。

何より感覚が鈍っていった。

当然だ、私の繊細な感覚すべてが、手の震えを抑えるため一点に集中していたのだから。

本当の自分の腕はこんなんじゃないというプライドは高まったが、同時にジレンマと自信喪失が深まった。

昔は何も考えず、手術のことだけに集中していただけにショックだった。

なんでこんなことに俺は苦しまなければならないんだ! 他の医師は震えずにオペを遂行しているのに。

なぜ仕事に集中させてくれないんだ? 人の命がかかっていることなのに、なぜだ?




◆劣化していく手術の腕

過去に出来たことができなくなることの苦悩は計り知れない。

しかも私はどんどん上達していかなければならない年齢だったのに。

他の医師が自信と経験と熟練度を上げていくというのに、私ときたら自信をなくすだけだった。



心がふさぎ込んだ。

いらだったりもした。

手の震えのどうにもならなさ、震えてしまう自分、そしてなぜ俺だけがこんな目に合うのかというイライラ感。

常に神経過敏で、焦りとイライラと絶望、それだけの繰り返しだった。

私の人生がそのためだけに存在していることを考えると、やるせなかった

生きるってなんなんだろう? なぜ私は苦労してこんな仕事をしているんだろう?

すべてがわけがわからなくなっていった。



◆これさえなければ 憂鬱な日々と先の見えない闘い

楽しい思いもこのころからできなくなってしまった。

すべてがつまらない。やる気が出ない。

楽しいことが別にあっても、いつも手術のこと、手の震えのことが気になり、そちらに楽しい気持ちもひっぱられ、すべてが味気ないものになっていった。

つまらない人生に陥った。



これがなければ、俺はなんてすばらしい人生だったろうと、ジメジメと思いとらわれていた。

これさえなければ、誰よりもいい人生なのに!


これがあるばっかりに!



このこれさえなければという強い思いが、ますます私の症状を悪化させていった。

外科医神経症闘症記録 手の震え、あがり症、書痙克服への体験記 夜明け前

手の震え克服方法とあがり症や書痙が治った体験記  ◆あがり症、手の震え、書痙、自律神経失調症・・・、私を苦しめた症状


私の神経症の症状は、書痙・手の震え・自律神経失調症・心身症・不安神経症・あがり症といったものだった。

具体的に、手術時の手の震えと心臓のどきどき感(動悸)の暴走、カルテを書く際の書痙がもっともつらいものだった。

非常に緊張しやすく、それが体に反応してしまう。

私は昔からあがり症で生きづらい感じもしていた(性格だと思っていたが)。

まさしく一歩間違えれば、過度の緊張によるミスで手術も大失敗に終わる可能性があっただけに、余計プレッシャーがあった。

いつも失敗と予期不安と発覚に怯えていた。




◆孤独な悩みと自己嫌悪

だから手の震えの悩み以外に、正常な意識を向けることはどうしてもできなくなっていった。

いかにそこを乗り切るか、どうしたら乗り切れるのか、乗り切れなかったらどうしようか、人から変に思われたらどうしよう、もう思われているかも
などとくだらない考え
にとりつかれていた。

くだらないけれど、自分にとっては死活問題だった。

くだらないと自分でもよくわかっているから自己嫌悪にもなったし、孤独に悩み、人に決して相談できなかった。


◆手が震えが徐々に悪化

最初の段階では、手が「万が一震えたらどうしよう」だった。

そのときは不安と恐れだけだった。

腕や手に異常に力を入れて、震えるのを必死でおさえていた。

ずっと長い間、その強迫観念に駆られ続けていた。



ちょっと違うな、生きる上で邪魔で効率が悪いなと思っていた。

こんなくだらないことにばかり囚われているのは、私一人だけだろうなと思っていた。

息苦しさとどこか心に靄がかかった感じ、すっきり自分を出せないもどかしさがあった。

次第に手術の時に限って、手が微かにふるえ始めた。

具体的な症状として出たのはそれが初だった。

気のせいにしたかったが、やっぱり気のせいではなかった。

一時的な震えの症状だと思い込みたかったが、現実は永続的なものだった。



気のせいであって欲しいと思い続け、余計意識と神経が手と腕に集中してしまった。

そして手と腕に異常なほど力が入って、その疲労感といったらなかった

そういう悩む人がなってしまう悪循環に、私も例外なくはまっていた。

ずっとそればっかりに思考が振り回され続けてしまった。

気になったものは絶対に気にならないようにできない。

しかし、気にならないようにしたい、震えないようにしたい。

この執着心が、ますます私を神経症のレベルに追い込んでしまった。




◆手術による疲労とストレス

それでも慎重にやっていた結果、特に手術時に問題もなかったが、手術が終わった後は信じられないくらい手が疲れた。

汗の量は半端じゃなかった。

心も異常に疲労した。

心の耐性もどんどんすり減ってしまった。

腕と手が常にはり続けた感じになった。



患者さんを健康にするのが私の使命であるはずなのに、手術をやるごとに、私の心身が不健康になっていった

私は狂って叫びたいくらい、イライラしはじめた。

なぜ抜け出せないんだ!? なぜ気になるんだ!? どうしたらいいんだ!? なぜ私だけこうなんだ!!

鬱憤が溜まるが、吐き出せる場所もない。

自律神経失調症になるし、不眠症も併発した。

必死でもがいたり、ひたすら耐えて、時間が解決することを一縷の望みにして頑張ったが、私の強い願いとは逆に、もっと神経症的な症状が私を取り憑いていった。



◆あがり症、緊張症

あがり症には学生時代から悩まされたが、そういう性格なんだと思いながら、医学部を卒業し、研修医を経て、無事一人前の医師になれた。

対人関係のコミュニケーションも人並みにどうにか取り繕っていた。

だけどどこか自分を守ってきた半生だった。



もともとのあがり症・緊張症が、結果的に手の震えにすり替わった、手と腕に特化してしまったのだと思う。

次第に、心理的なもので手が震えるとわかり、精神科と心療内科に相談しに行った。

のちのち潜在意識の病因にアプローチする催眠療法と、「あるがまま」を実践しようと森田療法にも通った。



どこにも私が手術をする外科医だと言わなかった。

どうして言えようか。信用問題に関わる。

現役の手術を行う医師が手が震えるなんて、カウンセラーやまして精神科医に知られたら恥だと思った。

これも自分を守っている、恥をかきたくない、プライドが高いことと関係が大いにあるだろう。





◆手の震えが周囲にバレたら・・・

そんなことだから、勤めている病院にも、私の心の問題がばれたらお終いだと思っていた。

誰にも緊張と震えの秘密を知られないうちに解決しようと、心を扱う機関に相談しに行ったが、どれも私の問題を解決できなかった。

私も治してもらうという気持ちでいたのがいけなかったのかもしれない。

守りと逃避の姿勢では、決して神経症、あがり症、手の震えは解決できない。

攻めの姿勢しかなかったが、そのときは知りようもないし、誰も教えてくれなかった。



私が相談した精神科医の先生(もちろんいい先生もいる)は、役立たずもいいとこで、何のアドバイスもせずに、薬を出すだけに終始した。

医者とはそういうものだと私もよく知っているが、心を扱うだけにもっとやってほしい不満が強かった

一応、精神科医らには私は医療機器を製作する人間で、手が震えると困ると言っていた。

秘密を抱えたまま、はやく治りたかったが、それも夢に過ぎなかった。



◆憂鬱、絶望、暗黒・・・私には先がなかった

私を強く支えてくれる精神科医も心理セラピストもカウンセラーもおらず、私自身もただ逃れたい一心でいたたま、良くなるにはどうしたらいいか、何をしたらいいか、どんな気持ちでいれば良いか、わからないまま時間を無駄にしていった。

この頃の私には絶望の二文字しかなかった。

手の震えに苦しめられ、予期不安に恐れおののきながら、自律神経失調症、不眠症で心身共に追いつめられ続ける、しかもそれらが治る見込みもない現状と未来への絶望、まさに暗黒時代だった。



なぜ私だけがこんなに苦しむのだろう

私は何も悪いことをしてこなかったし、やましいことをしてこない。

人の命を自分の腕一つで助けるために医師になったし、手術でも実績を積んできたはず。

努力もしてきたし、苦しい思いを乗り越えて今までやってきた。



しかし、なぜそんな私だけがこんな罰を受けねばならぬのか?

誰かを傷つけたか? 誰かを陥れたか? 誰かを裏切ったか?

これでは、人生を呪いたくなるし、症状に対して憎しみを感じる。

しまいには、イライラするどころか、憂鬱と諦めの心が支配されていった。



こんな思いは二度としたくないし、誰にもさせたくない

つらい思いをしている人は、一刻も早く解決して欲しい、本当にそう願います。



BlackJackプロフィール

blackjack7777

Author:blackjack7777
外科医鈴木博が緊張性の手の震え・書痙・自律神経失調症・あがり症・強迫観念と心身症・不安神経症、不眠症に陥ったときの記録と神経症から脱出するためのヒントがのっています。


もともと過緊張から手が震えることから始まり、書痙や自律神経失調症の悪化、さらにストレスがストレスを呼び心身症や不安神経症、不眠症とボロボロになってしまいました。
自力で必死に助かろうともがくほど、人は簡単に際限なく症状が悪化していくものです。


私を救ってくれたかけがえのない先生に最大限感謝の気持ちを捧げます。あなただけでした、私を手の震えや書痙などの神経症から解放してくれたのは。
私自身も頑張れたと思います。頑張れたのはやっぱり先生の力でしたが。


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主に私が受けた心理脳内プログラムについて相談がありましたら、こちらにどうぞ。
一刻も早く皆さんがご自分の抱えられている悩みを解決できるように私も頑張りたいと思います。これ以上人生も職も生きがいも失ってはなりません! 
手の震えやあがり症、過緊張と戦う医師の方、看護師の方を始め、皆様に私の体験談を捧げます。


慶応大学医学部卒。鈴木博。外科医にほんブログ村 病気ブログ 医療・医者へ
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